【後編】IgA抗体の医薬品と食品への応用と展望

ヒトの粘膜において病原菌の侵入を防ぐIgA抗体は腸で多く産生され、腸内細菌の構成にも影響を与えるなど腸内細菌と密接な関係を持ちながら働いていることがわかっています。前編に続いて、IgA抗体の医薬品・健康食品などへの応用がこれからのウェルネス産業へ与える影響について、東京大学定量生命科学研究所 免疫・感染制御研究分野の新藏礼子教授に伺いました。

IgAと腸内細菌の関係

IgA抗体は粘膜防御に重要だということですが、腸内ではどのように働きますか?

腸の粘膜の面積はテニスコート1.5面分とも言われ、私たちの身体の中で外界と接する表面積が最も大きい部分です。しかも、粘膜と皮膚とではそのバリアの厚さは大きく異なり、粘膜は細胞一層しかないため、どこからでも異物の侵入があり得るため、防御のためには種々の抗菌物質とともに多くの抗体が腸管腔に分泌されています。

腸を守るIgA抗体にとって、腸内細菌は最も身近な外敵であると同時に一生離れられない友達でもあります。IgA抗体がしっかり働いている腸には、いい腸内細菌が住み着きます。いい菌というのは、ヒトの免疫を余分に刺激せず、だからといって弱い菌ではなく、ヒトに必要な栄養分を産生し、病原菌がやってきたときに対抗してくれる菌のことです。IgA抗体と腸内細菌のいい関係が保たれていることが、腸管免疫においては大切なのです。

“万病薬”となり得るIgA抗体の応用と、腸内細菌叢を改善する方法

腸内細菌を使ってIgA抗体を増やすことは出来るのでしょうか?

腸内細菌をつかってIgA抗体を増やす方法は多くの専門家たちが研究を重ねています。また、粘膜防御のためには抗体の量だけではなくIgA抗体の質の良さも重要です。質の良いIgA抗体というのは必ずしもB細胞を刺激すれば産生されるという訳ではなく、せっかく免疫反応が働いたとしても効果のないIgA抗体が生まれてしまうこともあります。
こうした理由からも今、健康な人に対して質の良いIgA抗体を作れるような刺激を与える方法と、加齢などにより免疫機能が低下している人に対して外から質の良いIgA抗体を入れるような方法について研究を進めているところです。

IgA抗体を増やせば免疫力が高まるのでしょうか。

IgA抗体の量だけで免疫力が単純に強くなる訳ではありません。例えば、黒いマウスは白いマウスに比べると、腸の中のIgA抗体の量が10分の1程度である場合もあります。だからといって双方の健康状態に差はなく、むしろ良い抗体は黒いマウスから取れることが多いのです。量が少ないということは、少なくても十分だということで、質の良い抗体ならばたくさんの抗体を産生しなくてもよいのです。

一方、IgA抗体の少ない人では腸内環境が悪くなりやすいことはわかっています。この場合もIgA抗体の量だけが問題なのではありません。例えば歳を重ねるとIgA抗体の量に変わりがなくても、大腸菌やサルモネラ菌といった腸炎の原因菌をトラップしにくくなり、結果として腸内環境が悪化すると考えられます。

例えば健康食品としてIgA抗体を摂れば、腸内細菌叢を良くすることが出来るのでしょうか?

所謂“プロバイオティクス(乳酸菌などの善い菌)”は間違いなく腸内環境を整える作用があります。しかし、元々ある良い腸内環境を保つのには役に立ったとしても、悪化している腸内細菌叢(腸内環境)を元に戻すことが出来るかという点はまだ分かっていないと思います。その場合は、IgA抗体を医薬品として口から投与し悪い菌を減らした上で、プロバイオティクスを補充するというような方法が理にかなっていると思います。

IgA抗体を健康食品として取り入れることは、現時点では価格の面で見合わないため実現に至っていません。将来的にもっと安価に製造できるようになれば、より手軽な食品として扱えると思います。

IgA抗体を製品化するには、どのような部分で一番コストがかかるのでしょうか?
また、製品化された折にはどういった人たちの役に立つと考えられますか?

一番コストがかかるのは安全性の担保です。例えば、2014年に発売された抗体医薬品を例にすると、その製造工程ではハムスターの細胞に抗体の遺伝子を入れてそのあと細胞に抗体を作らせる訳ですが、そこには必ずウイルスなどの感染源排除という慎重な作業が欠かせません。

また、とてもクリーンな製造施設が必要であることに加え、IgA抗体のサブタイプの中でも二量体という特殊な形態を大量生産するために多大な費用が必要になります。

近年の研究で腸内細菌は人格まで変える程の影響があるとも言われ、腸炎や血管性疾患のほか糖尿病などの代謝性疾患、さらには精神神経疾患にも関与することが示唆されています。これらの病気を対症療法ではなく根本的に治そうとするなら、原因となる部分に対して直接、IgA抗体を作用させるのが一番です。
現在、各専門医の協力を得ながら腸内細菌叢を変化させることで病状が改善するのかをまずはマウスの実験で検証しているところです。近い将来の実用化に向けて取り組んでおり、あと5年程すれば臨床応用にたどり着けるかもしれません。

IgA抗体を使う以外に、腸内細菌叢を良くする方法があれば教えてください。

有力なのは「糞便移植」です。今、病院で試されている方法は健康な他人の便を移植する方法です。健康な人の便の中には良い菌とともに質の良いIgA抗体も多く含まれていると思いますので、腸内細菌叢を良くすることができると考えられます。

私はIgA抗体を口から飲むだけではなく、こうした便移植も視野に入れて開発していけたらいいと考えています。例えば自分の便を取り出したのちIgA抗体を使って悪い菌だけを取り除き、再度、自分の腸に戻すというような方法です。

一方で、抗生物質や下剤を使って腸内細菌叢を一掃する方法もありますが、抗生物質は腸内細菌叢のバランスを乱すこともわかってきています。感染症など、抗生物質が絶対必要な場合とよく区別して使用されることが重要と思います。
IgA抗体やプロバイオティクスをうまく組み合わせて腸内細菌叢を改善することで、いろいろな病気を治療することにつながることを期待します。

ヘルスケア産業への願い「安全なものを皆のお腹に届けてほしい」

最後に、健康やウェルネス産業の発展に向け、食品や食品素材に携わる方々へのアドバイスやメッセージを
お願いします。

腸内細菌叢を悪くする原因は、食べ物そのものだけではなく、そこに含まれている食品添加物も含まれます。また、食品添加物にかぎらず畜産動物に対する抗生物質の使用も例外ではありません。本来、家畜も腸内細菌を良くすれば抗生物質は不要になるでしょう。IgA抗体は家畜の腸内細菌を良くするためにも使うことができると思います。
関連企業や畜産業の方々においては、「腸内細菌が健康と密接に関係する」という知識を理解して、安全なものを消費者のお腹へ届けるように心がけてほしいと思います。

昔の日本では、ぬか漬けなど、安くて自宅で簡単に乳酸菌入り発酵食品を作る知識が沢山あったのに、少しずつそうした文化が廃れてきてしまっているのが残念でなりません。企業の皆様が正しい情報発信をしていただくことで、世代を超えた食育につながっていくこととなれば素晴らしいことだと思います。

<インタビュー前編はこちら>

新藏 礼子 教授 プロフィール

東京大学 定量生命科学研究所 免疫・感染制御研究分野教授。
‘86年京都大学医学部卒業。麻酔科臨床医として病院勤務の後、京都大学大学院へ進み、米国ハーバード大学こども病院に留学。京都大学准教授、長浜バイオ大学教授、奈良先端科学技術大学院大学教授などを経て、’18年東京大学分子細胞生物学研究所(現・定量生命科学研究所)免疫・感染制御研究分野教授。腸管のIgA抗体が多彩な腸内細菌叢の何を識別して制御するのかを明らかにし、飲むだけで腸内環境を整え病気を治す、抗体医薬の開発を目指している。


ウェルネス総研レポートonline編集部

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