「作って終わり」にしない――国立成育医療研究センターによる、女性の健康総合センター「オープンイノベーションセンター(OIC)準備室」の本気度

国立成育医療研究センター 女性の健康総合センター(ICWH) オープンイノベーションセンター(OIC)準備室長 松原圭子さん

月経、妊娠・出産、不妊、更年期、メンタルヘルス、働き方、老年期の疾患――。女性の健康課題は、ライフステージに応じて大きく変化します。一方でこれまでの医療や研究、商品開発では、男女の違いや女性特有の身体的・社会的背景が十分に反映されてこなかった側面がありました。
こうした課題に医療と研究の側から向き合うのが、国立成育医療研究センター 女性の健康総合センター(ICWH)内に設けられた「オープンイノベーションセンター(OIC)準備室」です。企業、研究機関、行政、市民団体などと連携し、研究成果を社会実装につなげる役割を担っています。室長を務める松原圭子さんに、国立の研究機関がオープンイノベーションに取り組む背景や、連携先に求める姿勢、今後の展望を聞きました。

「お母さんだけではない、すべての女性」のために

国立成育医療研究センターは、2002年に国立大蔵病院と国立小児病院を統合し設立された、子どもと母親のための診療と研究を行うナショナルセンターです。周産期医療、小児医療、プレコンセプションケア、妊娠と薬に関する相談など、妊娠・出産や次世代の健康に関わる医療と研究を推進してきました。
2024年10月に開設されたICWHは、その機能をさらに広げる拠点です。すべての女性の健康・疾患に特化した研究の推進、最新エビデンスの収集・情報提供、政策提言などを担い、現在は約70名が在籍しています。
「もともと子どもと、お母さんという属性を持つ女性のための診療と研究をしてきた施設です。ただ、女性の健康についてナショナルセンターとして取り組む必要があるという流れの中で、親和性の高い成育医療研究センターに、その機能が加わりました」(松原さん、以下同)

ICWHのロゴは、生命の象徴である「花」をモチーフとしています。4枚の花びらでWomanの「W」を形成し、ランダムに配置することで一人一人の個性と生命力を表現。それを支える枝は、そっと包み込む「手」をイメージしたフォルム

ICWHでは、女性の健康に関するデータの構築、ライフコースと性差を踏まえた基礎研究、疫学・公衆衛生研究、臨床研究を中心に、情報発信、人材育成、政策提言、女性の体と心のケア、女性に特化した診療機能の拡充など、多岐にわたる活動を展開しています。その中でOIC準備室は、研究成果や医療現場の知見を、企業や行政、生活者と結びつける役割を担っています。OIC準備室は2024年10月の設立で、現在は本格稼働に向けた組織立ち上げの準備段階にあり、その一環として多様なパートナーとのアライアンス構築やネットワーキングイベントの開催などを進めています。

研究者としての「もどかしさ」から、共創の道へ

OIC準備室の室長を務める松原さんは、産学連携の専門家としてキャリアを始めたわけではありません。浜松医科大学を2002年に卒業後、6年間は小児科医として勤務。その後、遺伝学を学び直すため大学院へ進み、成育医療研究センターで15年ほど希少疾患の遺伝研究に打ち込みました。

「研究者は論文を書けば、そこで一つの仕事が終わります。しかし、患者さんの役に立つものを、実際に作る側に回れないだろうかと考えるようになりました」

転機となったのは、研究者としての「もどかしさ」です。
「研究して、論文にまとめることは大事です。でも、それだけだと患者さんの生活はなかなか変わらないんですよね。私は患者さんの役に立ちたくてこの道に入ったので、もう少し届けるところまで関わりたいと思うようになりました」
そこで挑んだのが、特殊な遺伝子検査の全国展開。センター内に臨床検査ラボを立ち上げ、保険診療の枠組みで遺伝学的検査を提供できる仕組みを構築しました。この取り組みを通じて松原さんは、「仕組みをつくれば、研究成果を患者さんに届けられる」と実感したといいます。
「研究も臨床も大事ですが、最後に社会へ届くシステムをつくらないと、本当に必要な人に届きません。女性の健康に関して、アカデミアの立場からオープンイノベーションの視点で産学連携を進める人がほとんどいなかったこともあり、準備室の室長をやらせてくださいと手を挙げました」

フェムテックの広がりに、医療の目を入れる

OIC準備室が設けられた背景には、女性の健康領域を取り巻く社会変化もあります。近年、フェムテックや女性向けヘルスケア市場は活気づき、月経管理、妊活、更年期、メンタルヘルス、セルフケア、働く女性の健康支援など、関連するサービスや商品は多様化しました。
一方で、松原さんは「医療の目が十分に届いていない領域もある」と指摘します。

「良いアイデアやプロダクトはたくさん出てきています。ただ、それが本当に有効で、安全で、安心して使えるものなのかを、きちんと検証する仕組みはまだ十分とは言えません。
誰の何を解決するのか。そこを見ていく人が必要だと感じました」

「さまざまなソリューションやアセットをつなぎ合わせ、“女性の健康”を公衆衛生の観点から捉えていくことが大切だと考えています」

ただし、すべての民間サービスを否定したり、規制で縛ったりしたいわけではありません。
「ダメだと言うのではなく、むしろ『こうしたら良い』『こうしたら売れる』を一緒に考えたいんです。事業としてスケールしないと、モノは作られませんし広がりません。また、私たちのような組織が関わることで、業界全体でも『きちんと検証すること』の大切さが、これまで以上に意識されるようになるのではないかと考えています。健康被害が起きたり、本来なら医療につながるべき人が遠ざかったりすることは避けなければなりません。だからこそ、医療機関として関わる意味があります」
国立の医療研究機関がOIC準備室を持つ意義は、単なる商品開発支援ではありません。エビデンス、安全性、公平性を軸に、医療と社会の間に橋を架けることにあります。

渉外活動と研究者支援、二つの柱で進める共創

OIC準備室の実務は、大きく二つに分かれます。一つは渉外活動です。国内外の企業、研究機関、自治体、非営利団体などと接点をつくり、共同研究や技術開発につながる関係を構築します。もう一つは、センター内の研究者への支援です。研究者が研究に専念できるよう、外部連携や契約、研究の組み立てを支える体制づくりを進めています。
松原さんは、渉外活動を「インバウンドとアウトバウンドの両輪で進めています」と言います。外部から相談を受けるだけでなく、OIC準備室から企業や団体に声をかけ、女性の健康課題との接点を探っていくのです。

国立成育医療研究センター 女性の健康総合センター(ICWH) OIC(オープンイノベーションセンター)準備室のページより

「女性の健康に関することを明示的に掲げている企業だけではありません。一見、無関係に見える企業にも声をかけます。たとえば、測定器のメーカーさんに、『それって、女性のこんな課題に使えるのでは』といった具合です。イベントでお会いすることもあれば、人づてを頼ったり、企業のお客様相談室に素性を伝えてつなげていただいたりすることもあります。私自身、これまで200社以上とお会いしました」
医療機関の中では珍しい、実務的な“営業”に近い動きです。一方、市場には構造的な課題もあります。女性だけに絞ると市場規模は限られ、フェムテック市場が伸びているとはいえ、最初から女性にフォーカスし過ぎると資金も人材も集まりにくい。だからこそ、松原さんは「女性のためだけではなく、人間全体のため」という視点も意識しています。
もう一方の柱である研究者支援も、本質は同じです。
「研究者と企業が直接やり取りすると、お互い悪気はないんですが、なかなか話が噛み合わないことがあります。研究者には譲れない学術的な視点がありますし、企業には事業として成立させるための考え方があります。その間に入って、お互いの言葉を翻訳しながら、一緒に形にしていくのが私たちの仕事です」
あわせて、研究者の専門性や時間をきちんと評価することも大切にしています。これまでは無償でご協力いただくことも多かったのですが、学術指導として適切に対価をお支払いする仕組みづくりも進めています。
「専門性の高い人たちの知識や時間には、それに見合った価値があります。企業とはビジネスとしてお付き合いする以上、契約を交わした上で、お互い納得できる形で進めることが大切だと考えています」
ただし、連携先を増やすこと自体が目的ではありません。大切なのは、女性の健康課題の解決につながるか、科学的に検証できるか、社会実装まで見据えられるかです。

「作って終わり」にしないために

松原さんが考えるオープンイノベーションは、商品化・事業化にとどまりません。
「プロダクトを作るだけでは足りません。ちゃんと使ってもらい、ユーザーのために役立てるところまで動線を設計しないと、作っておしまい、プレスリリースを打っておしまいとなりかねません。アーリーアダプターだけでなく、マジョリティーに届ける必要があります」
そのため、企業の方からご相談をいただいたときには、「この取り組みは、どんな女性に、どんな価値を届けたいんですか?」と、まずお聞きするようにしています。そこが十分に整理されないまま研究を始めても、途中で方向性がぶれてしまったり、思うように進まなくなったりすることが少なくないからです。
「企業の方とお話しするときに、一番大切にしているのは、『なぜこの事業に取り組むのか』という思いです。ご自身の原体験から生まれた熱意も大切ですし、市場をしっかり分析した上で事業として挑戦するという考え方も、もちろん大切です。ただ、その先に『本当に女性のためになるのか』という視点がないと、長く社会に根付く取り組みにはなかなかならないと思っています」

TAKANAWA GATEWAY Link Scholars’ Hub(LiSH)で行われた、第2回 ICWH Health Talk「みんなで学ぶ ウェルビーイングのこと」登壇者:ICWH エリザベス(リズ)・ミラー氏、国立成育医療研究センター 村上幸司氏

国立の研究機関だからこそ担える役割として、松原さんは「中立性」「公平性」「透明性」を挙げます。
「データをご提供いただく際にも、『成育さんになら安心して預けられる』と思っていただけるような存在でありたいと考えています。将来的には、競合する企業同士であっても、『成育さんが中立的な立場で間に入るなら、一緒に取り組めるかもしれない』と思っていただけるような存在になれたらいいなと思っています。
私たちは特定の企業の利益を追求する立場ではありません。社会全体にとって価値のある研究や医療の発展を目指す立場だからこそ、中立的な橋渡し役として信頼していただける組織を目指しています」
そのため、企業との関わり方にも細心の注意を払います。利益相反への配慮、講演料や接待に対する慎重な姿勢、外部から見たときに疑念を持たれない関係性づくり。こうした姿勢そのものが、OIC準備室の信頼基盤になります。

思春期・周産期・更年期、そして職域へ

ICWHの活動軸は、胎児期から生涯を通じた「ライフコースアプローチ」と、男女の対比の中で女性に最適化した医療を探る「性差医学」の二つです。現在、特に重点を置いているライフステージは、思春期、周産期、更年期の三つです。
「思春期は、中高生の月経の悩みを婦人科が診るのか、小児科が診るのかという診療のギャップがあります。学業に支障が出ている子も多いのに、病院につながっていない。そこで婦人科と小児科の医師が一緒に診る思春期の月経外来を立ち上げました。更年期も大きな課題です。ほぼすべての女性に症状が出るのに、受診した方がよさそうな方の1割程度しか受診できていません」

「産業が回り、大きくなり、新しいものが作られるためには、人とお金が流れなければなりません」

その中でOIC準備室が特に注力するテーマは「医療との接続」と「職域」です。
「PHR(個人健康記録)で体調を入力しても、それが病院に行くべき症状だと思わなかった、という方が非常に多いんです。PHRを医療でどう使うのか、設計がうまくいっていない。一方、職域はアプローチしやすい。健康診断が年1回必ずあり、産業医もいる。健康課題の発見から解決、労働生産性に至るデータがそろっている領域なんです」
連携先の業種は限定しません。測定機器メーカー、製薬、自治体、更年期の啓発を草の根で続ける市民団体まで、多様な主体と接点を持っています。

情報発信と開発ネットワークを全国へ

女性の健康課題は、当事者だけでなく、家族、企業の人事担当者、医療従事者、研究者、行政担当者など、多くの人に関わります。そのため、情報発信も一方向では足りません。
ICWHでは、一般向けの「成育Women’s Healthセミナー」と、より専門的な「成育Women’s Healthアドバンストセミナー」を開催し、ライフステージごとの女性の健康課題や最新のエビデンスを発信しています。また、女性の健康推進室「ヘルスケアラボ」での記事監修や、SNSを通じた継続的な情報発信にも取り組んでいます。

一般の方でも気軽に参加できる「ICWH Women’s Health セミナー」を偶数月に、より専門的な内容を扱う「ICWH Women’s Health アドバンストセミナー」を奇数月に開催

今後について、松原さんは短期、中期、長期で見ています。短期的には、企業、自治体、アカデミア、市民団体との共同研究や受託研究を通じて、良い事例を生み出すこと。中期的には、女性の健康に関わる研究開発のネットワークを全国に広げること。そして長期的には、女性だけでなく、すべての人が健康で幸せに暮らせる社会につなげることです。
「女性の健康の分野で、『もっと研究開発にも取り組みたい』『企業とも連携しながら新しい医療をつくっていきたい』と考える医療機関が増えてきています。中期的には、日本全国に女性の健康に関する開発のネットワークをつくっていきたい。企業だけでなく、市民団体、自治体、アカデミアも含めて、一つひとつ種を生み出し、大きくしていきたいと思っています」
さらに、OIC準備室を次のような役割を担う組織にしたいとも。
「私たちが目指しているのは、企業と一緒により良いものを育てていくことです。企業が持つ優れたアイデアや技術を、研究や臨床の視点で磨き上げ、より安全で、信頼され、社会に受け入れられる形にしていく。そういう共創の場でありたいと思っています」
女性の健康は、医療の中だけで完結するテーマではありません。だからこそ、医療、研究、産業、行政、生活者をつなぐハブが必要になります。国立成育医療研究センターのOIC準備室は、その新しい役割に挑み始めています。

取材・文/大正谷成晴 撮影/関大介


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