
管理栄養士・沼津りえさんが語る、阿佐ヶ谷で19年続く料理教室「COOK会」と“場の管理人”が育むリアルコミュニティの力
レシピを知りたければ、AIに聞けば一瞬で教えてくれる時代です。検索すれば、写真付きの手順も、分量も、コツまですぐに出てきます。それでも「あの先生から教わりたい」と通い続ける人がいるのはなぜなのでしょうか。AI時代における人間性の価値は、リアルで長い時間をかけて育む信頼関係にあるのかもしれません。管理栄養士・料理家の沼津りえさんは、東京・阿佐ヶ谷を拠点に料理教室「COOK会」を主宰して19年。著書は20冊以上、テレビ出演も多数。「料理が楽しいと思ってもらえること」を軸に積み上げてきた、料理教室の歩みや思いを聞きました。
管理栄養士から、幅広いジャンルをこなせる料理家になるまで
沼津さんは大学卒業後、食品メーカーに就職し、管理栄養士として栄養指導に携わりました。チームリーダーとしてスタッフをまとめる立場にもなりましたが、心の奥に消えない火種がありました。
「管理栄養士として働きながら、料理を作る仕事がしたいという思いがずっとふつふつとしていて。子供の頃からずっと料理が好きで、夢は3分クッキングに出演することだったくらい(笑)。入社後3年目くらいから悩み始めて、辞めると決めるまでに2年かかりました」

東京・新大久保の街を歩く沼津りえさん。「最近仕事で韓国に行ったばかりなんです。このあたりは韓国料理屋さんが多いですね」
周囲は「会社を辞めるのはもったいない」と猛反対。でも、そんなとき、同じ職場の先輩が好きな道に進むために退職し、それが後押しになったといいます。「人生は一度きり。料理で人を笑顔にしたい」と、会社を辞め、製菓・製パン専門学校に入学。授業の後は、テレビで見て憧れていた老舗洋食店で働き始めました。
「睡眠不足が続く毎日でしたが、好きなことだったので楽しくて仕方なかったですね。気づけばシェフが不在の土曜日の厨房を一人で任されるまでになって。魚のさばき方をはじめ、あらゆる料理の基礎を叩き込まれました。そして、いつの間にか専門学校で学んでいたパンやデザートも、お店で担当するように。ここでの経験が、“幅広いジャンルを何でもこなせる”という今の土台になったと思います」
料理家として仕事を始めた頃は、専門ジャンルを絞れず悩んだ時期もあったという沼津さん。しかし今では、その幅広さこそが大きな強みに。パン、スイーツ、調味料、冷凍保存術、作り置き、糖質オフレシピ、健康レシピなど、これまで手がけた著書のテーマは多岐にわたります。
「管理栄養士・料理家の中でも、この多種多様な組み合わせは私しかいないと思っていて。これまでの経験が今の活動を支えてくれています」
レシピへのこだわりは、化学調味料を一切使わず、身近な材料で極上の味を作ること。その上で栄養バランスが考えられていること。それは料理教室でも著書でも、19年間ブレていないと語ります。
スポンジケーキが広げた、19年の料理教室コミュニティ
料理教室を始めたのは、ママ友に手作りのスポンジケーキをふるまったのがきっかけ。結婚後、阿佐ヶ谷に移り住み、第二子の誕生を機に子育てに専念していたときのことでした。
「とても好評で、作り方を教えてほしいとママ友に頼まれたんです。それで、一人の家で教えると、また別の家からも頼まれて。気づけばほぼ毎日、誰かの家を渡り歩いてプチレッスンをしていました。それを見ていた友人が、会場を借りてやったら?と強くすすめてくれたんです」
「みんな来るわけないよ」と最初は消極的だったという沼津さん。しかし2007年2月、バレンタインのお菓子を親子で作る教室を区民センターで開催したところ、思いの外15組もの親子が参加。「あら、こんなに?ってなって(笑)。消極的が積極的に変わった瞬間でしたね」と振り返ります。

沼津さんが手にしたのは青唐辛子。そばにあったバナナの花も気になったそうです
「ひな祭り、こどもの日とイベントごとにやったら徐々に広がって。ケーキ教室をやったら来てくれて、パン教室も来てくれて。多い時には、1日2回30組を3日間こなすように。あっという間でしたね」
参加者の反応に応じながら、ケーキからパン、大人向け、お酒と料理まで。今では千葉・埼玉・神奈川からも通ってくる生徒さんがいて、参加者の年齢は0歳の乳児から90歳まで。あの日のスポンジケーキが、19年続くコミュニティへと育ったのです。
「1分、触らないで」がルール。リアルの場でしか伝わらないもの
沼津さんの教室には、定番のトークがあります。それは「熱したフライパンに肉を入れたら1分、絶対触らないで」というもの。
「食材を入れてすぐ触ると、フライパンの温度が下がって食材がくっつく。1分そっとしておくだけで、どんなフライパンでも肉はくっつかない。それだけで肉だけではなく他の食材も倍おいしくなります」
こういうコツはレシピに書いても、なかなか頭に残りません。でも、その場で先生に直接言われると、体験として心に刻まれる。本やネットで作り方がわかる時代に、それでも教室に通い続ける人が絶えない理由がここにあります。
「調理中は目を光らせて、生徒さんが迷っている様子を見つけたら、すぐに声をかけるようにしています。とはいえ、1日に多くの方が参加する教室では、どうしても目が届かない瞬間も出てきます。そんな時は、教室をサポートしてくれている夫が架け橋になります。私に直接聞きにくい時は夫に伝えてもらう。夫が代わりに私に質問をしてくれます」
教室のモットーは「とにかくいいところを見つける」こと。一人ひとりの手つきから盛りつけまで、目を配り、言葉をかけ続けます。

「法人向けの料理教室は、普段とは違った会社の人の顔が見られることで、コミュニケーションが深まるみたいですよ」
「大人になって褒められることは、なかなかありません。『先生が褒めてくれるのがすごく好き』と言ってもらえます。そうすると、褒められることがこんなに嬉しいと実感し、家で子供にも同じようにしてあげようと思うようになります。そういう連鎖が嬉しいです。娘に『レシピは調べれば出てくる。でも褒めてくれない。だからわざわざ先生に会いに来ている』と言われたことがあります。それからより実感するようになりました」
レシピや動画ではどれだけ丁寧に説明しても再現できない呼吸やタイミングの感覚を、目の前で何度も伝え、何年もかけて関係を積み重ねていく。それこそが、検索一つで答えが手に入る時代に、あえて教室に通い続ける理由なのかもしれません。
SNSでは生まれない、リアルな現場だからこそ生まれるコミュニティ
現在、沼津さんは自身主宰の教室のほか、阿佐ヶ谷地域区民センター、セシオン杉並主催の教室を定期的に担当しながら、区役所職員向けや法人向けの教室も並行して開催しています。定員は25名前後。夫と二人三脚で運営しています。

「『母から娘に伝えるはじめてのLINEレシピ』という家族全員で作った本が、やはり思い出深いですね」
長年続けてきた中で実感していることは、リアルな場だからこそ生まれるものがあるということ。「SNSは便利ですが、やっぱりリアルな会話とは違う。教室では気取らず、みんながみんな顔見知りになっていく。私は料理の先生というより、場の管理人みたいな感覚です」
親子料理教室は19年の教室なので、3歳で参加していた子供が社会人になって母親と再び訪れる。受験が始まる前に、一緒に料理する思い出をつくりにきたという家族がいる。料理教室がきっかけで料理の道に進んだお子さんも数人います。その話を聞くとうれしくなります。法人向け教室では、エプロン姿の部長をきっかけに場の雰囲気が和み、翌日から職場の会話が増えたという声も届きました。
「みなさん、いろんな思いで来てくださるんですよね。だから料理教室をやめられない。おいしかっただけじゃなくて、料理を通じてその人のストーリーを聞けるのが、リアルの場なんですよね」
子育てを卒業したら全国を飛び回りたい
「料理を通して伝えたいのは、生きていくのが楽しいよということ」。19年間、沼津さんが一貫して届けてきたメッセージです。
「私は子供たちや夫が美味しいって言ってくれる、その瞬間が嬉しくて料理を続けてきました。喜んでもらいたいという気持ちが料理の楽しさ、毎日の楽しさの源なんです」
その思いを、これからはもっと広く届けていきたいという沼津さん。「下の子供が大学生になった今、子育てを卒業したら全国を飛び回りたいですね。いいおばあちゃんになって、みんなのお母さんみたいになれたらと思っています」
情報はどこにいても手に入る時代だからこそ、直接同じ空間にいて、同じ匂いや音、間合いを共有するからこそ伝えられるものがある。料理の先生である以前に「場の管理人」でありたいという沼津さんの姿勢は、人と人をつなぎ、コミュニティそのものを育てていくウェルネスリーダーの姿そのものです。その価値を一人でも多くの人に届けるため、沼津さんはこれからも全国を回りながら、人と人が向き合う場をつくり続けていきます。
撮影協力/K,D,C,,, 新大久保駅直結の食のコワーキングスペース
取材・文/坂本アヤノ 撮影/藤本孝之

沼津りえ さん プロフィール
料理研究家、管理栄養士、調理師。料理教室「COOK会」主宰。大手食品メーカーで管理栄養士として勤務後、老舗洋食レストランで腕を磨き、料理研究家として独立。東京・阿佐ヶ谷を中心に、料理だけでなくパン・お菓子まで幅広いジャンルのレッスンを19年にわたり開催し、毎日盛況を博している。化学調味料を使わず、身近な材料で作りやすく、栄養バランスの整ったレシピに定評があり、新聞・雑誌・テレビなど各種メディアでも活躍。著書は20冊以上にのぼり、『オイル・しょう油・みそに漬けるだけ! やみつき しみしみ調味料』(ナツメ社)、『切って漬けるだけ! やみつき しみしみ野菜』(ナツメ社)、『ごま油さえあれば』(小学館)、『からだとこころがととのう滋養菓子』(日東書院本社)など多数。
















