【前編】腸内細菌に注目した食品開発のヒント~ファーマシューティカル化が進む発酵食品

人体に「1000種、数十兆個」も存在すると言われている「腸内細菌」。近年、人の体にさまざまな影響を与えていることがわかってきました。それにともない、腸内細菌に着目した食品も続々と登場。「脳」や「皮膚」にまで影響を与えるとされる腸内細菌の最新研究と、関連商品の開発のヒントについて、西沢邦浩氏(株式会社サルタ・プレス代表取締役、日経BP総研客員研究員)に伺いました。

いまは腸内細菌に与える影響を考えて食事を摂る時代

そもそも西沢さんが、「腸」と「健康」の関係に興味を持ち始めたのは、いつ頃からでしょうか?

『日経ヘルス』の副編集長をしていた2000年頃からですね。ただ、当時の栄養学は「吸収された成分が体内でどう作用するか」が主なテーマで、現在のように「吸収されなかった食品成分と腸内細菌との関係」については、まだあまり重要な研究領域として注目されるところまで行っていなかった印象があります。健康を維持するためには、吸収される成分だけでなく「吸収されない成分」=「腸内細菌のエサ」の動態も重要だという視点の研究が多くなってきたのは、ここ十数年のことだと思います。

最近では、“腸と臓器”はもちろん、“腸と脳”“腸と皮膚”の相関関係も明らかにされつつあります。「1000種類、数十兆個」とも言われる腸内細菌が、人間の体にさまざまな影響を及ぼしていることは、もはや疑いようがありません。つまり、いまは栄養価だけでなく、「腸内細菌に与える影響」も考えて食事を取らなければいけない時代になってきています。

 

なるほど。私たちの食事は、腸内細菌の食事でもあると。

ええ、見方を変えれば、食品成分をもとに腸内細菌が発酵して作り出した物質が人体にとってのもう一つの重要な栄養素だったと言えるかもしれません。いわば人体は巨大な「発酵器」。ヒトは食事をして腸内細菌にさまざまな物質(代謝物)を生み出させ、健康維持に利用しているわけです。発酵食品が体にいいとされているのは、腸内細菌が行っている発酵活動の一部や、体内では行えない発酵をこうした食品に代替させているから。つまり、細菌そのものだけでなく、食品素材を発酵させて生み出した代謝物質を口から摂取できるからではないでしょうか。こうした考え方を「Extended Microbiome」と呼ぶ研究者もいます。

つまり、必須アミノ酸のように、体内では十分に産生できないけど、“人体に必要な細菌の代謝物”というものがある。それを発酵食品で補えるということでしょうか。

それが発酵食品の重要な側面だと思います。実際、発酵食品中の細菌がどんな代謝物を生み出しているのかを分析する研究も盛んに行われています。そうした研究の中には、発酵食品から発見した成分でファーマシューティカル(製薬)を目指すものもあります。人体にいい影響を与える物質や、ヒトの腸内細菌が産み出せない物質などをより多く含んだ発酵食品をつくることで、健康の維持や病気予防に役立てようという研究が始まっているのです。

薬のように発酵食品をデザインする研究が始まっているんですね。

一部ではそういう動きもあります。ただし、万人に効果を発揮する発酵食品というのもないでしょうし、同様の成分もそうそうあるものではありません。なぜなら腸内細菌は生活習慣や食生活の影響を受けやすく、人の腸内環境は千差万別だからです。
たとえば、糖尿病患者と健康な人の腸内細菌叢(腸内フローラ)は異なるという報告もありますし、人種間の腸内細菌叢の違いは、それにも増して大きいという指摘もあります。

こうした前提を踏まえると、健康なときの腸内細菌を保存しておいて、調子が悪くなったら培養して本人の腸に戻すという、いわば”腸内細菌バンク“のようなサービスが実現されると需要がありそうです。ビフィズス菌などの善玉菌を含むヨーグルトなどの発酵食品が、”継続摂取“を推奨しているのは、摂取をやめたらこうした菌は長いものでも1~2週間程度しか腸内に定着しないからです。しかし、腸内細菌バンクがあれば、本人の菌なので腸内に長期定着しやすいはず。病気などで腸内環境が悪化した際でも、すみやかに健全な腸内環境を取り戻せるのではないでしょうか。

いま、将来的に再生医療を受けることを想定して、自分の幹細胞を保存しておく「細胞バンク」の
サービスが始まっていますが、それと同様のコンセプトですね。

そうですね。病気治療という点で言えば、ピロリ菌が胃がんの発症率を高めるように、ある種の病気発症のリスクを高めるとされる腸内細菌もかなり発見されています。反対に、特定の疾患の発症率を低減する可能性を持つ菌も存在するはず。実際、ある症状を持った患者さんに有益な腸由来の細菌を組み合わせて投与することで、治療効果を高めるという研究も進められています。特に、同じ薬でも患者さんの腸内細菌叢によって効果が違うというのはいろいろな薬で確認されているため、初期治療として、まずその薬を効きやすくする腸内環境を整えるというのは、近い将来、医療の現場では当たり前になっているかもしれません。

実際、「現在、用いられている薬の7~8割は腸内細菌の影響を受けている」という研究報告もあるほどです。たとえば、がん細胞を攻撃する免疫細胞の活性を回復させる「免疫チェックポイント阻害薬」などは、高額なのがネックの一つです。こうした高価な薬を使用する前に、腸内環境を整えて薬効を高めるというのは、もちろん患者さんのためにもなりますし、医療費の削減にもつながる話です。今後、こうした薬と腸内環境の相補関係の研究もさらに加速していくと思われます。

食物繊維を豊富に含む全粒粉穀物に注目

では実際に、病気と腸内細菌の関連がわかる事例があれば教えてください。

発達障害の一種である「自閉スペクトラム症」に関して、腸内細菌の代謝物である「4-エチルフェニル硫酸」という物質が全身を巡り、脳に影響を与えることが原因の一つではないかという研究報告がありました。まだ研究の初期ステージかもしれませんが、もっと研究が進めば、この「4-エチルフェニル硫酸」を産生する細菌の働きを抑制することで、「自閉スペクトラム症」に挑むという方法が現実味を帯びてくるかもしれません。

また、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発症と腸内細菌の関連も報告されています。例えば、重症者で「フィーカリバクテリウム プラウスニッツィ(Faecalibacterium prausnitzii)」という腸内細菌が激減しているというもの。この菌は免疫機能を整える働きなどを持つ「酪酸」を産生することで知られています。そして、「フィーカリバクテリウム プラウスニッツィ」は、海藻類に多く含まれるアルギン酸という食物繊維やハト麦の投与で増える可能性があるとする別の論文も発表されています。まだ状況証拠レベルの仮説ですが、海藻類やハト麦を摂取することの新たな可能性が感じられます。

腸内細菌に関連して、西沢さんが何か注目されている食品素材や成分などはありますか?

何といっても、穀類に含まれる食物繊維、いわゆるシリアルファイバーですね。
現在、アメリカでは健康のために「1日90g」程度の全粒穀物を摂ることが推奨されていますし、実際に全粒穀物を積極的に摂取すると、2型糖尿病や大腸がんの予防や死亡リスク低下作用はもとより、すべての原因による死亡リスクが減少するという多数の研究をメタ解析した成果もあります。100年ほど前の日本人は、大麦や稗、粟などを中心に、1日70gを超える量の全粒粉穀物を摂取していました。最近では摂取量が激減(ほとんどないと言っていいほど)してしまいましたが、有用菌のエサという視点からという面から見ても、見直されてもいい食材だと思います。

ただし、前述のように、腸内細菌叢は人種によっても大きく異なります。海外の研究結果が、日本人にもそのまま当てはまるとは限りません。残念なことに、全粒穀物の影響を見る研究は西欧で盛んに行われているのに、日本ではまったく不足しています。また、糖尿病治療における食事療法として糖質制限を用いる医師もいらっしゃるようですが、糖質量全体を減らすことと、精製糖質を全粒穀物に置き換えることのどちらがより効果的なのかといった視点のきちんとした研究が、日本人対象で実施されることを期待したいと思います。全粒穀物が日本人の腸に与える影響について、独自に研究を深めてもらいたいですね。

<インタビュー後編はこちら>

西沢 邦浩 氏 プロフィール

株式会社サルタ・プレス代表取締役。日経BP総合研究所 客員研究員。
1998年『日経ヘルス』創刊と同時に副編集長に着任。2005年より同誌編集長。2008年に『日経ヘルス プルミエ』を創刊し、2010年まで編集長。同志社大学生命医科学部委嘱講師。日本腎臓財団評議員などを務める。著書に『日本人のための科学的に正しい食事術』など。ラジオ日経「大人のラヂオ」に出演中。


ウェルネス総研レポートonline編集部

関連記事一覧