老化細胞除去は可能な時代に。血管老化から考える「病的老化」と食への期待
老化やその速度に関する研究に対して多くの注目が集まる昨今、加齢によって蓄積した老化細胞を除去する治療薬と、その作用機序が明らかになってきました。「人は血管から老いる」とも言われるなかで、血管老化は細胞の老化や個体の老化形質、さらにはPoA(ペース・オブ・エイジング、老化する速度)に対し、どのように影響するのでしょうか?老化細胞除去に着目した新たな抗老化治療法の研究開発に取り組む、順天堂大学大学院 循環器内科教授 南野 徹 先生に伺いました。
「人は血管から老いる」は正解?老化の捉え方と研究者ごとの視点
南野先生はハーバード大学医学部でのポスドク時代、世の中でまだ血管生物学を専門とする研究室では血管の老化研究が行われていない状況のなか、「テロメア・テロメラーゼ(telomerase)と血管老化」に関する研究を始められたと伺いました。そのきっかけはどのようなことでしょうか?
私は千葉大学医学部を卒業したあと、5年ほど循環器内科医として臨床経験を積みました。その後、東京大学で医学博士号を取得し次の研究テーマを探していた頃、ヒトのがん細胞でテロメラーゼの活性化を測定できるという研究成果が掲載された学術雑誌「Science」(米国)を読んだことが、細胞と血管の老化研究を行うようになったきっかけです。その記事を皮切りに世界中で、「がん細胞ではテロメアが分裂を繰り返すにも関わらず、これが短縮化しないのは、テロメラーゼが活性化しているから。」という説がトレンドになり、関連する論文も急増しました。
ただし、私の場合は老化によって短くなるというテロメアの機能を、がんの領域ではなく循環器の領域でやってみようと思い立ったのが現在の研究でも基盤になっています。
今、研究なさっている内容についてご教示いただけますか?
我々のグループが主にいま研究しているのは、簡単にいうと、老化細胞を除去する治療薬と食品成分です。このうち治療薬については2024年5月に、既に糖尿病や心不全の治療に臨床で広く使用されているSGLT2阻害薬※が老化細胞を除去する効果を持つことを明らかにし、発表しました(Nature Aging誌オンライン版、2024年5月30日付)。この治療薬をリパーパシング※し、老化細胞を除去することで病的な老化における形質を改善できるか、そして安全な治療として実施できるかを検証するため、今後も研究を続ける予定です。
一方、食品成分については食品メーカーと協力して、老化細胞を除去する効果が期待できる複数の成分の研究を進めています。
※SGLT2阻害薬:腎臓の尿細管に局在するナトリウムグルコース共輸送体(SGLT2)を阻害することにより、血液中の糖質を尿へ排出する薬剤。グルコースのみならずナトリウムの再吸収も抑制することでもたらす、間接的な心負荷軽減などにより慢性心不全の改善に寄与すると考えられている。
※(ドラッグ)リパーパシング:Drug Repurposing、既知の薬効や副作用を利用して別の疾患への適用を探ること。
血管が老化するとはどういうことでしょうか。
まず、老化という言葉を定義するのは非常に難しく、一元的には説明できません。例えば私のように、細胞が老化するというミクロな視点で研究している人にとっては、加齢とともに血管で各細胞の機能が低下することを血管の老化と定義するかもしれません。また、その細胞が血管をしなやかに保つ成分を産生する機能が低下することを老化と捉える人もいるでしょう。一方で、マクロな視点で研究する人にとっては、血管のしなやかさが失われることで動脈硬化が進む状態を血管の老化と定義することもあります。
つまり、研究者の視点によってその定義は様々です。これらを踏まえた上で、もし我々の研究から定義に近いような指標を設けるとするなら、「血管に蓄積した老化細胞の量」がそれに相当すると言えます。また、老化という言葉に対する捉え方も多様で、ここで言う老化は「病的な老化」(以降、老化)を指していると捉えてください。
血管の老化と全身の老化との関連性について、ご教示ください。
全身を巡る血管は一様に老化するのではなく、身体の部位によって異なる性質を持つひとつの臓器として捉える必要があります。基本的には静脈よりも動脈の方が老化しやすく、特に血流が乱れやすい場所ほど老化細胞が蓄積しやすいと言えます。ただし、「血管が全身に張り巡らされているから、血管の老化が全身の老化に関与する」という単純な関係ではありません。ある臓器では、血管がその臓器の老化につよく関与し、その結果として臓器の老化が起こり、さらに他の臓器の老化も促進することで最終的に個体老化を引き起こすのです。
実験では、血管内皮細胞の老化を促進するように遺伝子操作したモデルマウスの結果から、血管の老化に伴って骨格筋の代謝機能や心機能が低下することが明らかになっています。こうした臓器の機能低下とともに現れてくるのが、老化の形質です。例えば、太っている人では代謝の形質が現れやすく、血圧が高い人では心不全の形質が現れやすい傾向があります。しかし、これらはストレスなどの環境因子に大きく左右されることと、色々な背景が積み重なることで変化し、最終的に顕性化する病的な老化の形質は様々です。
「人は血管から老いる」とも言われますが、血管の老化は全身の老化を促進すると言えるでしょうか?
結論から言うと半分はYESで、もう半分はNOと言えます。肯定的な理由としては、我々の動物モデルでの実験において、血管の老化が血糖や臓器、そして個体の老化の形質につながるエビデンスが得られているからです。逆に否定的な理由は、これまでの直接的な因果関係がすべて動物モデルから得られた結果であり、それがヒトに完全に当てはまるかどうかは検証されていないからです。
しかし、モデル動物では、「ある臓器」にストレスがかかって老化細胞が蓄積したり、老化のシグナルが活性化したりすると、他の臓器にも老化細胞が蓄積する現象が確認されています。このような観点でみると、「ある血管」で起こる老化細胞の蓄積が他の臓器に影響を与え、さらに個体に老化の形質を引き起こすと考えるのも間違いではないでしょう。
PoA(Pace of Aging)と血管の老化との因果関係は、どのようにお考えですか?
PoAと血管老化との因果関係は、双方向にあると考えています。加齢の過程では当然、様々なストレスやDNAダメージなどがあり、血管でも老化細胞の蓄積が進みます。対する血管では老化細胞の蓄積が炎症を起こし、これが全身に影響を与えることで、個体の老化が促進されるのです。これらは双方向で起こり、互いに悪循環を招くと言えるでしょう。
現在、我々のなかでもっとも信頼性が高いバイオロジカルエイジング(biological aging)の指標は、エピジェネティック・エイジング・マーカー(Epigenetic aging marker)です。しかし、これについてもエピジェネティクスがどのように変化するのか、なぜ様々なローカス(遺伝子座、染色体上の遺伝子の位置)でメチル化が起こったり消えたりするのか、ほとんど解明されていません。つまり、老化のスピードについて哲学的な議論は可能でも、科学的なテイストで厳密に語るのは非常に難しいのです。
老化細胞除去の治療における課題と、食品成分に対する期待
老化は治療できる時代になったと言えるでしょうか?
フレイルや認知機能の低下など、年齢の割に進行している形質は、老化細胞の蓄積が早いことも原因のひとつです。したがって、老化細胞除去によって老化の速度を遅らせることは可能でしょう。ただし、既に起こっている形質や老化の速度をゼロにすることは出来ません。言い換えると、老化細胞除去は最大寿命を延ばすことではなく、不健康な寿命をなるべく減らして介護が必要な期間を短くし、健康寿命を延ばすことが目的です。この治療が実現する時代はもうすぐきます。
現在、我々の研究の一部は内閣府の「ムーンショット計画(ムーンショット型研究開発制度)」※のうち、「目標7」に該当しています。ここでは、「2040年までに人生100年を元気に」を掲げていることもあり、2040年にはそのような時代が到来することを目指し研究を進めているところです。
※ムーンショット型研究開発制度:日本発の破壊的イノベーションを創出することを目指し、従来技術の延長線上にない大胆な発想に基づく研究開発を推進する国の大型研究プログラムで、ムーンショットという言葉が指すように壮大で前人未踏の可能性に満ちた計画。
老化細胞除去が注目を集める理由は何でしょうか?現在も引き続き注目されている、オートファジーとの関連性についても教えてください。
分裂しなくなった老化細胞でも、その代謝は活発でサイズも非常に大きく、多くのゴミを処理するためにオートファジーが盛んに働きます。しかし、その処理が追い付かないことで様々な機能不全の発現に至るのです。ただ、オートファジーはその活性が高ければ高いほどよいという訳ではありません。とくに、がん細胞ではこれが非常に活発なことも分かっています。
がんと老化は表裏一体の関係で、老化を抑制すればがんが増えるというのは生物学的に避けられない現象です。例えば、老化細胞の生成を抑えるためにp53(がん抑制遺伝子)を抑制すると、老化の速度は抑えられる反面、がんが増えます。どうしても、オートファジーや細胞のサイクルなどを標的にすると、一緒に負の現象も招いてしまうのです。
一方、老化細胞だけを分離し除去する治療は、細胞の根本的な部分に作用することなく、がんも増やさないため、かなり理想的なストラテジーと言えます。これが今、老化細胞除去が多くの人から注目を集めている理由でしょう。
老化細胞除去の治療について、課題があれば教えていただけますか?
前述のように既存の薬をリパーパシングして老化細胞除去に用いる場合、課題となるのは薬そのものではなく、保険適用やそれにまつわる法整備の面です。現状の医療費が予防医療にまで拡大すると、国の経済的負担は避けられません。
一方、哲学的な懸念として高齢者の割合が増えることにより生じる負担の増加というデメリットは少ないと考えられます。理由は、元気な高齢者が増えることで労働人口が増加し、介護にかかる負担が減るからです。この経済効果がどのくらい医療費の拡大を相殺できるかは、実際にやってみなければ分かりません。
食品関連企業の研究開発やマーケティング担当者に向けて、メッセージをお願いします。
老化細胞除去に対するファーマのハードな研究が進行しているということは、食品などのソフトな研究に対するニーズも高いと考えられます。食による老化細胞除去を目的としたアプローチは、ひとつの大きなマーケットになるかもしれません。
事実、いくつかの食品成分が老化細胞除去の効果を持つことは、かなり前から報告されています。ただ、期待する機能を発揮するために成分を濃縮する必要があったり、天然の食品では特定の成分を分離したりする技術も必要でしょう。
また、老化細胞の除去に留まらず、蓄積を少なくする機序についても念頭に置いてください。基本的に蓄積の原因となるのは、酸化ストレスなどが染色体を傷つけるDNAダメージです。したがって、酸化ストレスを増加させる脂質異常症や糖尿病といった病気を防ぐことがすなわち老化細胞の蓄積を防ぐことにつながり、ひいては病的老化を遅らせることにつながるという視点も重要です。
南野 徹 先生 プロフィール
医学博士 順天堂大学大学院医学研究科循環器内科教授
日本内科学会総合内科専門医 日本内科学会指導医 日本循環器学会認定循環器専門医。
1989年千葉大学医学部卒業。臨床研修後、東京大学医学部にて医学博士取得。ハーバード大学医学部研究員などを経て、2012年より新潟大学大学院医歯学総合研究科循環器内科教授、2020年より現職。専門は循環器内科学(動脈硬化や心不全、生活習慣病)。30年前から細胞老化に関する研究を開始し、現在、老化細胞を標的とした抗老化治療の開発を行っている。