【注目書籍】脳に機械をつないだら、私たちは進化する?

「ブレインテック(脳の技術)」とは、脳に関する広範囲のテクノロジーやビジネスの総称です。本書『ブレインテックの衝撃 ――脳×テクノロジーの最前線』(小林雅一著/祥伝社新書)には、豊富な事例とともに複数の視点から見たブレインテックの最新事情がまとめられています。「プライバシーの最後の砦」といわれる脳と、私たちはどう向き合っていくべきかについて考えさせられる一冊です。

イーロン・マスクとフェイスブックが脳の世界に斬り込む

ブレインテックの中心的な技術が「BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)」。何らかのデバイスによって脳と各種マシンを接続し、双方向で情報を直接やり取りする技術です。なじみのない言葉ですが、脳内各部の活動状況を測定する「fMRI」や脳波を測定する「EEG」などの医療技術もBMIの一種といえば、イメージしやすいかもしれません。BMIの基礎研究が始まったのは1960年代のこと。つまり、「脳と機械をつなぐ」技術には、意外に長い歴史があるのです。

BMIが一躍注目を浴びたきっかけは、世界的に著名な起業家であるイーロン・マスク氏や、アメリカのIT大手のフェイスブック社などが相次いでこの分野への参入を発表したことです。本書の「はじめに」から第1章では、2016年にマスク氏が設立したニューラリンク社、ほぼ同時期にBMI研究部門を立ち上げたフェイスブック社を取り上げ、両者の研究目的とそのプロセスを具体的に紹介しています(フェイスブック社は2017年に同部門を解散し、基礎研究所「リアリティ・ラボ」を創立)。

脳からスマホを直接操作する?

BMIには「侵襲型」と「非侵襲型」があります。ニューラリンク社が推進しているのは「侵襲型」、つまり外科手術によって脳に電極や半導体チップを埋め込むタイプのBMIです。マスク氏はBMI開発の目標を「脊髄損傷や神経疾患などで身体が麻痺した患者に対して、身体的な自由を取り戻すこと」としています。たしかに、身体の不自由が少しでも軽減できるとあれば、脳にメスを入れることを厭わない人もいるでしょう。実際、脳に小型電極を埋め込み微弱な電気刺激を与えることで各種症状を改善する「脳深部刺激療法」はすでに医療技術として確立され、年間約15万人のパーキンソン病患者がこの治療法を受けているとされています。2020年の脳深部刺激療法の市場規模は11億ドル。少なくとも侵襲型BMIは、限定的ではありますが、医学的な意義と社会的なニーズを満たしているのかもしれません。

かたやフェイスブックが選んだのは「非侵襲型」のBMI。頭に装着したヘッドセットなどが脳の活動を読み取る方法です。同社はその開発目的を「脳による文字入力」とし、脳で念じるだけで1分あたり100単語(約500文字)をスマホやパソコンに入力する技術を開発しようとしています。アルファベットを使う欧米では、指による文字入力の速度は1分あたり120字とされており、脳からの文字入力はその4倍以上の速度ということになります。

脳から情報を読み取る精度は侵襲型に軍配が上がります。身体麻痺患者の機能回復という現実的かつ切実な目的を達成するには、侵襲型は有望な選択肢と考えられます。しかし、身体麻痺などがない人からすると、非侵襲型のほうが圧倒的に受け入れやすいでしょう。実際に、非侵襲型のBMIはすでに実用化・商品化されて睡眠改善、仕事の効率アップ、ゲームプレイなどに使われています(第3章で実例を紹介)。

しかし、例えば「脳で念じるだけで何かを操作する」という実用的な目的には、侵襲型と非侵襲型のどちらが適しているのでしょうか。ニューラリンクは、いずれ脳による思念でコンピューターやスマホ、ゲーム機、さらには電気自動車やドローンなども操作することを目指しています。マスク氏によると、「指でのスマホ操作はイライラするほど遅い」とのこと。マスク氏の頭脳には、最新スマホでもついていけないのかもしれませんが、一般人の感覚では、スマホ操作のために脳外科手術を受けるのは非現実的。しかし、BMIによって天才的な思考力やスキルを簡単に脳にインストールできるとしたら……BMIを受け入れるでしょうか。また、その際は侵襲型と非侵襲型、どちらを選ぶでしょうか。

解明が先か、開発が先か

本書の第2章では医学的な見地からBMIの進歩が紹介されます。その主な目的はやはり身体麻痺者に対する機能回復。医療のためにはBMIやブレインテックは必要だと納得させられます。ただ、この章の最後には些か不安な情報も。パーキンソン病などの治療のために「脳深部刺激療法(侵襲型の治療)」を受けた人の中に、人格や性格が変容したケースがあるというのです。それが治療そのもののせいなのか、障害が取り除かれたことで本人のマインドや周囲の人との関係が変わったせいかは不明ですが、いずれにしても脳に直接触れることへの畏怖を感じさせる情報です。

第3章は、ビジネス領域のトピックスが満載。BMIツールがすでに市販され、私たちの生活に入り込んでいることがわかります。脳から読み取った情報に基づいて商品をリコメンドするマーケティング事業もすでに展開中とのこと。それを知ると、マスク氏やフェイスブックがなぜBMIに注力するか見えたような気がします。脳の情報を読み取るということは、逆に外部の情報を脳に流し込むこととイコールなのだと気付かされます。

また、この章では注目したいのは「イノベーションと規制」をめぐる問題です。一部の研究者や学会は、まだ未解明な部分の多い脳に対してみだりに研究開発をしてよいのかと疑問を投げかけ、議論や規制を求めています。対してマスク氏を含むIT業界は「開発する過程で脳機能の解明が進む」という姿勢です。解明が先か、開発が先か。この問題にも、私たちは向き合わなければなりません。

脳で兵器を操作する

第4章はまさに衝撃。BMIの軍事利用についてくわしく報告されています。アメリカ国防総省の「マッドサイエンティスト部門」とも揶揄されるDARPA(国防高等研究計画局)による脳の研究は、怪我やPTSDなどにより心身が傷ついた米軍兵士を念頭に始まりました。念じるだけで動く「革新的な義肢」までは理解できますが、DARPAは念じるだけで操作できる「兵器」の開発にも取り組んでいるというのです。優秀なパイロットが脳で軍事ドローンを操り、攻撃をする。その悪夢のような兵器は、AI兵器よりもずっと優秀とのこと。

この稿で取り上げた他にも本書は多くの疑問を投げかけ、ブレインテックやBMI、脳と心の問題について考えるきっかけを与えてくれます。最後の聖域、脳。それをどう進化させるか、あるいはどう守るか。『ブレインテックの衝撃』を受け止めた私たち一人ひとりが、向き合うべき問題です。

【書籍情報】
『ブレインテックの衝撃 ――脳×テクノロジーの最前線』(小林雅一著/祥伝社新書)


ウェルネス総研レポートonline編集部

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