食品産業以外も注目する新しい概念「ガットフレイル」とは

現代の日本人は、機能性ディスペプシアや便秘などの胃腸にフレイルを抱える人が非常に多いと言われています。しかし、検査や診断によって器質的な異常が指摘されなければ治療対象とはならず、本来のパフォーマンスが得られぬまま日常を過ごす人がいるのも事実です。こうした、“胃腸の虚弱性”を「ガットフレイル」と名付け、その身体的社会的影響の大きさに警鐘を鳴らしている京都府立医科大学の内藤 裕二教授に、「ガットフレイル」を提唱された目的、「ガットフレイル研究会」の概要などについて伺いました。

新概念「ガットフレイル」の提唱で目指す社会とは

内藤先生は老化メカニズムの科学的な解明に加えて、健康長寿に向けた食事などさまざまな研究
を手掛けられています。そうしたなかで新しく提唱された「ガットフレイル」とはどのようなもの
でしょうか。

ガットフレイルというのは私が名付けた造語で、一言でいうと、“胃腸の虚弱性”です。 ガットと聞いておなかを思い浮かべる人は少ないかもしれません。身近なところではテニスのラケットをガットと言いますが、これは昔のラケットは羊の腸を用いて作っていたからです。

この“ガット”を、最近では一般にも広く浸透してきた“フレイル”と組み合わせました。ただ、従来使用されてきたような加齢に伴う心身の脆弱性という意味合いとは異なります。ガットフレイルは生まれたばかりの赤ちゃんから高齢者まですべての人を対象とし、人の生涯に渡って「おなか」に着目したウェルビーイングを目指すための概念です。

2023年6月に立ち上げられた、「ガットフレイル研究会」についてご教示ください。

「ガットフレイル研究会(以降、研究会)」では医師やアカデミアと企業が手を取り合い、おなかに着目したさまざまな環境における対策について研究しています。実は、これまで医師がおこなう研究というのは特定の製薬企業との共同研究や、自分の専門領域の中で研究を深めるようなものがほとんどでした。しかし、患者さんにおける腹部の不調が、単純に一つの病態に留まるとはかぎりません。

一見、元気そうに働いている人でも腹部の不調によって労働生産性が落ちている可能性が大いにあります。また、学校に通う子どもではトイレに関わる悩みで不登校になったり、おなかの不調を恐れて欠食につながったりする可能性も否定できません。私はこうした、腹部の不調が及ぼす多様な影響や課題について、皆でざっくばらんに議論できるような場所をずっと探していました。

研究会には、どのような企業が参画されていますか?
また、2023年4月に開設された「生体免疫栄養学講座」との関連性について教えてください。

研究会ではガットをターゲットとした議論だけでなく企業同士の共同研究もおこなわれ、そこには意外な企業や団体も参画しています。例えばサントリーグローバルイノベーションセンター株式会社や保険を扱うアフラック生命保険株式会社、全国精麦工業共同組合連合会など。

対して、健康長寿に向けた科学的エビデンスの確立と食を中心にした実践的予防法の実証を目的とする寄付講座「生体免疫栄養学講座(以降、講座)」(京都府立医科大学)では、計7社の食品関連企業が参画しています。その7社は、フジッコ株式会社、太陽化学株式会社、森永乳業株式会社、ミヤリサン製薬株式会社、森下仁丹株式会社、サイキンソー株式会社、株式会社Mizkan(順不同)です。それぞれが互いの強みや資源などを活用しながら連携し、相乗効果を発揮するために設立しました。
この研究会と講座が多視覚的な方向から議論を交えることで、これまでにない新しい取り組みにつながることを目指して活動し始めたところです。

ガットフレイルの定義はどのようなものでしょうか。
また、どんな人が、ガットフレイルになりやすいのでしょうか?

今はまだ、ガットフレイルをどのように定義すべきか検討している段階です。ただ、定義や評価項目の作成には大規模な調査も必要で、さらに集めたデータを解析するのに最短でも1年くらいはかかるでしょう。きちんと段階を踏んで作られた評価項目を用い、胃腸において健康と病気の間にあるフレイル状態の人に対して最善の方向性を指し示すことが大切です。

また、ガットフレイルになりやすい人は、とくに便秘を抱える人で可能性が高いと考えて間違いないでしょう。最近では、便秘に関するさまざまな報告があります。数字的なもので言えば、便秘を抱えて働く人の欠勤率は8.8%で便秘ではない人の2.3倍に相当し、その経済的損失を推計すると年間約122万円にものぼることが分かりました。

そのほか、大人では将来、認知症や慢性腎臓病、パーキンソン病を発症するリスクが高くなるという研究結果も。対して、子どもでは3歳以下の時点で便秘を抱えていると、就学年齢を迎えるまでに自閉症関連の病気を発症するリスクが高いということも分かっています。

私たち医師は、どうしても便秘という病態に対して薬を処方することに主眼を置きがちです。しかし、その人の背景にある原因を解消しなければ、便秘という病態は基よりQOLの改善を目指すことはできません。こうした背景にも焦点をあてた総合的な評価項目を作ることが、今年いちばんにやらなければならない事案です。

評価項目を作るために集積するデータとしては、具体的にどのようなものが必要になりますか?

必要なのは、2,000人から3,000人くらいの病気でない人を対象とした詳細なアンケート調査です。そのアンケートでは胃もたれや腹部膨満感といったさまざまな消化器の症状のほか、睡眠の質や食事、運動の状況なども収集する予定です。加えて、アウトカムとして労働生産性、職業性ストレスに関する情報も集めていきたいと考えています。

こうした総合的なデータ解析をおこなうとともに、国際的なウェルビーイング評価も指標に取り入れるべきでしょう。なぜなら、ガットフレイルを引き起こす一番の要因は、脳腸相関のアンバランスにあると考えているからです。決して容易な調査ではありませんが、多彩な分野の企業が集うことでよりスムーズな調査が実現することでしょう。

ガットフレイルを提唱することで、目指す社会についてお聞かせください。

大切なのは、治療の必要な病気でないことをきちんと確かめた上で、ガットフレイルの改善に取り組むということです。これには先に述べた評価項目で病気を除外することはもちろん、推奨される検診を受けているかということも確認する必要があります。例えば大腸がんは、日本では40歳以上のすべての男女が検診の対象です。こうした病気の有無を確かめずに、ガットフレイルを疑うようなことがあってはいけません。

加えて、医師においては、一般の人に対してこれらを理解してもらえるような説明をおこなうことが必要です。現在、わが国では胃がんと大腸がんで年間、10万人近くの人が命を落としています。ガットフレイルが注目されることで、結果的には胃腸の疾患への啓発にもつながればうれしいかぎりです。

ガットフレイルを通じて企業に対する期待と課題

昨今、注目を集めている“ウェルビーイング”とガットフレイルには、どのような関連がありますか?

ガットフレイルがウェルビーイングのバロメーターとなる可能性は、十分にあると言えるでしょう。なぜなら、ガットの健康が、心身ともに満たされた状態を維持するウェルビーイングに対して影響を与えることは間違いないからです。

たとえば一般には、便秘を引き起こす要因として、食物繊維の摂取不足を思い浮かべる人が多いでしょう。これが間違いということではありません。ただ、起床時に太陽光を浴びたり、毎日きまった運動を継続したりするのも、便秘の解消には必要な要素であるということを知る機会が少ないのも事実です。

したがって、便秘は単純に食べものだけでは解消できないということを踏まえて、ウェルビーイングで捉えるような統合的な視点からガットフレイルに対処していくことを広める必要があります。

研究会に食品関連以外にもさまざまな領域の企業が参画されていることに対して、
どのようにお考えでしょうか?

興味深い企業でいうとアフラックで、詳しい参画の目的はまだ現時点では公表できません。一つ言えるのは、日本にはがんサバイバーが多く、治療を受けながら自身で食事や運動などの日常管理に対する悩みを抱えている人が多いという実態です。

医療の進歩により、現代では1つや2つのがんで亡くなる人は各段に減りました。その一方で、抗がん剤や抗生物質を継続的につかうような治療により、心身の負担と並んでガットも非常に大きな影響を受け、さらには費用や保証に関する問題も大きくのしかかっています。

つまり、食で腸活や免疫力について訴える企業だけでは、人々の心身およびガットフレイルに対するケアを十分におこなうことは難しいということです。
私は、さまざまな分野の企業が参画して知恵を出し合うことが、1人でも多くの人を救うことにつながると信じています。

企業がガットフレイルに関する製品やサービスをマーケティングする上で、
どのようなことが重要とお考えでしょうか。

残念ながら日本はまだ、腸内細菌と食が病気や多くの生理的現象に関与しているということについて認識している人がすくない印象です。対して米国では、腸内環境の個人差によって食後の血糖値における推移や脂肪の吸収に差があることが広く周知されています。これからの時代、昔ながらの栄養学やカロリー計算だけで人間の身体をコントロールするのは難しいということに目を向けるべきです。

近年、めざましい勢いで解明の進む腸内細菌やその代謝物もしかり、個体差や時間栄養学的な考え方なども必要になってくるでしょう。これらの要素を上手に配合しながら、生活者に対して自社の強みを持つ部分で訴えていくことが鍵となります。

食品関連企業を含めた、ガットフレイルに興味をもつ企業に向けて、メッセージをお願いします。

マーケティング上で課題の一つが生活者の意識で、健康につながる行動に関して、医師が提案しないと行動に移せないという人がいるのも事実です。これに対し研究会では幅広い分野の医師を招き、多視覚的に医師の啓蒙をおこなうことも目的としています。さらに、日本消化管学会を始めとする錚々たる学会からも招き入れ、「ストップガットフレイルプロジェクト(Stop Gut Frailty)」というタイアップも計画中です。

我々、医師のもつ知見とそれぞれの企業が持つ専門知識を融合し、おなか(ガット)を起点として、「自分の健康は自分で守る」というメッセージが伝わるような商品を世に送り出してほしいと思います。

内藤 裕二 教授 プロフィール

京都府立医科大学大学院医学研究科教授。消化器専門医として最新医学に精通し、消化器病学や消化器内視鏡学、生活習慣病、健康長寿や抗加齢医学も専門としている。酪酸菌と健康長寿の関係などの研究をはじめ、長年腸内細菌を研究し続けている。


ウェルネス総研レポートonline編集部

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