「認知症者と生活習慣病 ~特に食行動異常について~」講演会レポート

認知症と生活習慣病については多くの議論があり、特に糖尿病は認知症の発症リスクを高めることがわかってきています。では、糖尿病とアルツハイマー病には脳科学的な共通点があることをご存知でしょうか。

一般社団法人ウェルネス総合研究所は、認知症患者の食行動という視点から「認知症者と生活習慣病 ~特に食行動異常について~」をテーマに、2022年12月8日(木)にオンライン講演会を開催しました。「脳科学に基づく地域における認知症対策」の第一人者である目黒謙一氏(東北大学高齢者高次脳医学研究プロジェクト教授)を講師にお招きし、外来事例と疫学データからみえる食行動異常の特徴と原因についてお話しいただきました。

食行動異常、そして糖尿病とアルツハイマー病にみられる共通点とは?その謎を解き明かしてくれるのは、講演中、目黒先生がおっしゃった「人は頭で食べる」という言葉。今も強く印象に残っています。食品関連企業開発担当者の今後の研究、開発、企画のヒントとなる産学連携の可能性とあわせてご紹介します。

「生活習慣病=将来は認知症」の公式は誤り

「生活習慣病があると認知症になると言われますが、実はそれほど単純な理論ではありません」という目黒先生の言葉とともに講演が始まりました。認知症はさまざまな原因で起きる症状の総称です。アルツハイマー病は認知症の原因疾患のひとつです。日本人に一番多いのは、アルツハイマー病に脳血管障害を合併した状態です。

高血圧、脂質異常症、糖尿病などの生活習慣病は、認知症の発症に影響を与えます。しかし、糖尿病があると認知症にいずれなる、という単純なものではありません。認知症の発症に生活習慣病が直接的な影響を与えるかどうかは検討が必要です。

「認知症は自己責任説」を唱えない

健康的な生活習慣を送れば認知症にならないと私たちは思いがちです。しかし、それは安易な考えです。生活習慣が関係する場合もありますが、認知症は年齢を重ねると誰にでも起こる可能性があります。また、アルツハイマー病と脳血管障害が偶然同時に起きる場合もあります。生活習慣が悪いから認知症になったんだと「疾患の自己責任説」を唱えないようにと目黒先生。一国の大統領や首相であれ、ハリウッドスターであれ、会社員であれ、農業従事者であれ、教師であれ、認知症は人を選びません。「生活習慣の管理は認知症の間接的な予防になりますが、臨床医としては、柔軟な思考回路を持つ重要性を強調したい」と目黒先生は言います。

筋子は甘い?味の「認識」に変化

鮭の卵である筋子が甘い、と聞くと、一瞬耳を疑います。外来患者から学んだこととして、中等度アルツハイマー病患者の事例が紹介されました。料亭の女将さんだった患者は、あるとき「筋子は甘いものだ」と言い始めました。筋子が何かは理解しており、舌の味覚は保たれているにもかかわらず、筋子に対する味の「認識」が変わってしまったのです。筋子は甘いと認識しているため、実際に食べるとしょっぱくておいしくないと言います。目黒先生たちは、試しにタピオカで甘い筋子を作ってみました。患者は甘い筋子をおいしい、おいしいと言って食べます。この結果から、一部のアルツハイマー病患者では、筋子が何かという「知識」から味の「認識」が分離され得ることがわかりました。「この方からは多くのことを教わりました。まさに、『臨床は患者に学べ』の言葉どおりです」と目黒先生は言います。

「知」だけではなく「情」に働きかけるリラックスも大事

次に、デジタル化の弊害について、56歳の2型糖尿病患者の例を用いて解説しました。仕事人間で、買い物も食事も何をするにもばたばたと慌ただしく、リラックスするときがありません。食事や運動療法を熱心に行い、歩数計を肌身離さず、カロリー計算を綿密に行います。しかし、糖尿病は一向に改善しません。

糖尿病患者には、疾患が生活習慣と関係している人もいます。「生活習慣とは人間の行動で、人間の行動には脳が関係しています」と目黒先生。実際に、アルツハイマー病と糖尿病の患者の中には、脳内のデフォルトモードネットワークと呼ばれる「リラックスする回路」が働いていない人がいます。人間の脳には、「知情意」といって、大脳皮質に支配される知性、人間の心である情動、そして身体を動かす意志、この3つがあります。機械だけを相手にし、カロリー消費量や摂取カロリーなど数字ばかりに意識が向くと、「知」の部分のみ肥大化し、情動が働きません。時間を常に気にしていると、心の余裕がなくなります。デジタル化のよい部分もありますが、機械の力だけでは糖尿病管理は不十分です。それより、気晴らしをさせてあげた方が患者の食行動を含む生活習慣の改善に役立つと目黒先生は考えます。

脳における「島」の代謝低下による味認識の分離

アルツハイマー病患者の意味記憶と味認識の分離について、食品サンプルを用いて検討しました。ソフトクリーム、筋子、レモン、きゅうりなどの食品サンプルを患者に見せると、呼称課題(「これは何か」という質問)には問題なく答えられます。一方、味の認知課題(「どういう味か」という質問)の正答率は下がります。そして、食事摂取量も減っています。これまでの脳科学では、呼称課題ができれば意味がわかっていると捉えていましたが、この試験により、一部のアルツハイマー病患者では味の認識が分離するとわかりました。目黒先生はこの研究で認知症ケア学会「石崎賞」を受賞しています。

では、アルツハイマー病患者は、脳のどの部分に影響を受けるでしょうか。PET-CT検査では、Insula(島)の代謝低下がみられました。島の代謝が落ちると、味の認識が変わりやすくなります。また、異食といって、自分の便を食べてしまう患者もいます。 「味認識の分離や異食の可能性がみられるアルツハイマー病患者を特定できれば、発症初期でのスクリーニングがうまくできます」と目黒先生は言います。治療介入時には、患者の思う食品の味に変えて食事摂取量の改善を図ったり、異食の可能性があれば介護スタッフに事前に通知したりと、患者に合わせた個別ケアが可能になります。

人間は頭で食べる

「人間は、食べ物だとわからないと食べないんです」と目黒先生は言います。例えば、生魚を食べない文化の国では、刺身や海老は違和感を持って迎えられます。ワイン文化がなければ、グラスを傾けながら臭いチーズをわざわざ食べようとは思いません。子どもの頃に親が鶏を締めるのを見たせいで、大人になっても卵が食べられない人もいます。文化、記憶、意味記憶、エピソードなどがあってはじめて、目の前にあるものを食べ物として認識します。人間は頭で食べるのです。人間は動物ですから、食べないと生きていけません。しかし、食事は単なる栄養補給ではありません。リラックスした状態で、家族や仲間と会話を楽しみながら栄養のあるものを食べることが大切です。

産学連携に向けて

人間の食行動をテーマに、食品業界の皆様と世の中の役に立つ研究がしたいと、目黒先生は熱いまなざしを向けました。例えば、データベース分析や臨床データ取得などの共同研究の可能性があります。製品開発の面では、認知食行動テストの作成や脳をだまして体にいいものを食べてもらう香りの研究の応用などができます。修士や博士号取得を目的とした、大学での研究も可能です。「生活に役立つ脳科学を応用し、産学連携で地域の皆様のよりよい生活づくりに貢献したい」と目黒先生は講演を締めくくりました。

「人間は頭で食べる」という切り口で、認知症と生活習慣病、特に食行動についてとても興味深いお話を聞くことができました。「泥臭い研究」と目黒先生はおっしゃいましたが、生活に根差した研究こそ、今の時代に求められているのではないでしょうか。シャープでウィットに富む語り口の中に温かみを感じる講演でした。地域住民に寄り添った目黒先生の取り組みに救われる患者さんは多いはずです。食品や食生活の観点からも、食品関連業界が新たに取り組むべき課題や業界の今後の可能性が示唆された講演会でした。


ウェルネス総研レポートonline編集部

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