KIRINマーケターが注目「ウェルネストレンド白書」の活用法
ウェルネスに関する生活者の意識と行動分析によって得られた7つの健康セグメントからヘルス・トレンドシナリオを洞察する「ウェルネストレンド白書」について、マーケティングのプロが考える見所と活用法、今後のマーケティングにおける展望や課題をご紹介します。
マーケティングリサーチや商品開発、コミュニケーションプランなどに従事する人にとって「ウェルネストレンド白書」の意義や価値は、どのように受け止められているのでしょうか?今回は、キリンホールディングス株式会社でおよそ40年に渡りマーケティング全般と事業戦略策定に従事されている太田 恵理子氏へ、人生100年時代でウェルビーイングの波がもたらすマーケットへの影響や、リサーチ、アプローチの変化、ウェルネストレンド白書の見所と活用法、今後のウェルネス関連におけるマーケティングの展望や課題について伺いました。
マーケティングのプロが語る、時代変化とウェルビーイング
武田様が今回監修された「ウェルネストレンド白書」は他の調査とはどのように違うのでしょうか。
私は1983年にキリンビール株式会社に入社してすぐマーケティング部に所属となって、“ハートランド®”ビールの開発にゼロから参加しました。その発売は1986年で、シンプルさの魅力を追求した「素・そ」という商品コンセプトは今も変わらず、多くの消費者の皆様にご愛好いただいています。そして当時、競合他社が開発した新ビールとは一線を画する考え方でマーケティングがなされ、それは「個」が重要視され始めた時代を現すものだったと考えています。
マーケティングにおける考え方の違いとは、どのようなものでしょうか?開発やリサーチの内容について、もう少し詳しくお伺いできますか?
商品開発にあたって、マーケティングリサーチを行うときには幾つかの方法があります。一つは多くの人にアンケート形式で意見を聞くことで、データを数値化したり傾向を調べたりする定量調査。もう一つは想定顧客から話を聞いたり、言葉や表情、行動といった数値化できないデータを集めたりする定性調査で、我々が行ったのはこれに当たります。
その時お話を聞いたのは、編集者や日常的に若い世代と接するような仕事をされている方々です。彼らが世の中に対してどのように感じているか、さらに自身がどうなりたいのかといった想いをリサーチしながら開発しました。
開発やリサーチを行う上で、心掛けていることを教えてください。
これからの世の中に必要な商品コンセプトを追求していくということです。常に生活者をしっかり見て、社会や少し先の未来における変化を敏感に察知するということを心掛けています。
これを念頭におきながらハートランドを世に送り出したあとは、洋酒を扱う会社へ出向したり、海外マーケットにおける定性調査に関わったりしながら、2007年に「キリン食生活文化研究所」を立ち上げました。
「キリン食生活文化研究所」では、どのような活動をされていらっしゃったのですか?
この研究所には大きく2つの意味がありました。一つはホールディングスという組織の中で色々な会社を横につなげる、“横連携”を行うところ。もう一つは時間軸で遠くを見る、中長期的な目線を持つところです。
事業会社では来期といった短い視点で物事を考えることが多いため、もう少し長い目線で見たお客様の生活変化と、食生活に関わる社会やテクノロジーの変化といった要素も含めた考え方で活動をしてきました。 これらの実践には、変化に着目する日々の実践や、プロセスの仕組み化につながる忍耐と努力が欠かせません。
2020年に「キリン食生活文化研究所」から「Kirin Well-being Design Lab」へ名称を変更された背景と、ウェルビーイングという言葉を選択された理由について教えていただけますか?
背景には、会社の長期方針としてのヘルスサイエンスにおける領域の拡充があります。そこで、ビールや清涼飲料といった既存事業が含まれる食生活だけではなく、ヘルスサイエンスまで含む、生活全体を対象に活動しているということが分かる部署名に変更しました。
“ウェルビーイング”を選んだのは、生活者そのものと少し先の未来を見ることに加え、健康まで含めた生き方や人生の目的など、幅広い視点を持つ概念として我々の方向性と合致していたからです。
「Kirin Well-being Design Lab」が行う、リサーチの特徴について教えてください。
私たちはこれまでも、健康を土台としつつ、人生の目的として何を達成したいかという想いや関心、人々の生きがいを重視してリサーチを行ってきました。
そこに、「人生設計」や「これからの暮らしについての不安」といった、人生100年時代の生き方に関する項目と、「疲れやすい」などの健康に絡んだ質問も入れながら、生活者にとってのウェルビーイングとは何かということを追求しています。
「ウェルネストレンド白書」の意義と活用法
「ウェルネストレンド白書」にご興味を持たれたきっかけについて教えてください。
発刊される前から、セミナー等で監修者である武田氏や藤田氏の話を聞く機会があり、興味を持っていました。元々、商品のライフサイクルやテクノロジーコンシューマー等の視点で展開される考え方を、面白いと感じていたのがきっかけです。
そしてこの「ウェルネストレンド白書(以降、白書)」が、健康素材や心身の不調だけでなく、生活者の健康意識に着目した内容で展開するという点に最もひかれました。
白書では健康に関する意識や行動などにより7つの「健康セグメント」として分析していますが、これについてご見解を伺えますか?
じつは私たちにも、生きがいや健康意識に関わる48項目の設問で因子分析を行って作りだした、“8つのウェルビーイング・クラスター”というものがあります。調べる内容が異なるため若干の違いはあるものの、よく似ている部分があり、非常に興味を持ちました。単に“健康”というキーワードで分類するのではなく、意識や行動をベースに生活者のセグメントを構成している所がいいですね。
白書の中で印象に残った部分や、今後期待なさっていることは何かございますか?
セグメントを分ける前の因子分析では、かなり多くの質問項目を使い、幅広い視点で行ったという部分が印象的でした。それらを7つに凝縮しまとめ上げる際には、とても苦労されたことでしょう。次号以降では、これらの因子をどのように組み合わせてセグメントが作られていったかなどの経緯が公開されることを期待しています。
あと「ストーリー」の話も印象的で、各セグメントに働きかけるためのストーリーをどのように紡いていくのかという部分についても、データをもって解説があると面白いですね。
ウェルネス関連におけるマーケティングの展望と課題
ウェルネス関連商品において、どのセグメントへのアプローチが有用だとお考えでしょうか?
目的とする内容にもよりますが、「トレーニング大好き層」と「まだ大丈夫層」が興味深いと感じました。前者は現時点で何も健康上の問題を抱えていない一方で、何らかの健康行動をしており、潜在的なターゲット層と言えそうです。特に女性で、更年期障害への危機感をもって自らに投資している人が多いというところが印象的でした。そして後者は、不健康な生活をしているという自覚はありながらも何も健康行動をしていない人たちですが、上手く“きっかけ”を見つけて提示することが出来れば動き始めるのではないでしょうか。「健康コンシャス層」や「ストイック層」の中にも、自身のなりたい姿を意識し、なりたい姿とのギャップを埋めるための努力や挑戦をしている人たちがいます。
各セグメントにはそれぞれの面白さがあり、アプローチのためには、個別の“きっかけ”を導きだすことがポイントと言えるでしょう。
健康行動に移すための“きっかけ”には、どのようなものがあるのか教えてください。
きっかけは、ライフスタイルのほか年齢や性別の違いも関係し、これを見つけるのは容易ではありません。性別の違いで見ると、女性は出産等の身体の変化や、日常でおこなうメイク等により健康行動の必要性に気付くタイミングが多くあります。それに対して男性は定性調査で聞いてみても、健康診断で異常値が出て認識したり、健康を害してから初めて気付いたりすること以外にきっかけがなかなか挙がって来ないのです。
ただ若い世代の男性やベンチャー企業を経営するような人の中には、サウナ好きだったり、ダイエットや容姿へのこだわりから始まって栄養にも配慮したりする人を見かけるようになってきました。男性に対しても、健康不調以外のきっかけを見つけることが出来るかもしれません。
これからのウェルネスマーケットにおいて、課題だと思われるのはどのようなことでしょうか?
商品はストーリーがあって初めてその先のお客様に到達できるため、このストーリーを考えることが課題の一つとも言えるでしょう。しかし、機能性表示制度が出来てから、メーカーは機能性の成分や健康上の困りごとを出発点としたアプローチを取りがちです。機能性を表示することに頼ったり、その機能性しか語ることが出来ないと思い込んだりすることで、かえってお客様に想いが届きづらくなっているかもしれません。順番としては「お客様がどう感じているから、その先に機能が紐づいていく」ということ。機能性からではなく、お客様を起点に見ていくということが重要です。
健康セグメントを一つの切り口として、ストーリー作りの道筋まで描いていけるようになれるといいですね。
最後に、今後の生活者の動向をどのようにご覧になっていらっしゃるか教えてください。
近年、フェムテックへの関心も高まりつつあります。我が国で1985年に男女雇用機会均等法が制定されてから約40年経ってようやく、企業の中で女性の健康への関心が注目を集めるようになってきたということです。ただ、世代で見ると若い女性に対するものが多く、中高年以上の女性に対するアプローチが少ないという印象も。まだまだ責任ある立場で仕事をしている女性が少ないということが背景にありそうですが、今後女性の幹部が増えていけば、マーケットとしての魅力も増していくのではないでしょうか。
また、若い人たちに対しては次世代の健康リテラシーを引っ張っていく層を育てるという意味でのアプローチも重要です。しかし、絶対数で言えばシニアの方が多く、人生100年時代と言われる中で健康寿命を少しでも長く保つために、私たちが何をすることができるかを考え続けることも必要なポイントだと言えるでしょう。
キリンホールディングス株式会社
ヘルスサイエンス事業本部
Kirin Well-being Design Lab
シニア・フェロー
太田 恵理子
1983年東京大学文学部社会心理学科卒業、キリンビール株式会社入社。途中、スイス・チューリヒへの遊学をはさみ、キリングループ内で一貫して、リサーチ・商品開発・メディアプランニングなどマーケティング全般や事業戦略策定に従事した。
2007年キリン食生活文化研究所を立ち上げ、所長に就任。生活者や社会の変化を捉えた経営への提言と、社内外との新価値創造を行ってきた。2017年10月よりシニア・フェロー。2020年4月、組織名称をKirin Well-being Design Labに変更。
専門分野は、デザイン・リサーチと生活者インサイト分析、シナリオ・プランニングと戦略イニシアティブの策定、デザイン思考に基づくビジネスモデル構築とイノベーション推進。 著書『消費トレンド2014-2018』(日経BP社)。