【注目書籍】『マイクロバイオームの世界 ―あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』

10年ほど前に始まった乳酸菌ブームの影響からか、「腸内細菌叢(腸内フローラともいう)」という言葉は広く知られ、「腸にはおびただしい種類と数の菌が生息している」「脳と腸はつながっている」「腸内環境は、体調の良し悪しや病気のかかりやすさに影響する」といった情報を日々、目にします。皮膚や口腔の細菌叢にも関心がもたれ、目には見えなくとも「私たちと共生する微生物」の存在はいまや常識となりました。本書『マイクロバイオームの世界 ―あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』(ロブ・デサール&スーザン・L .パーキンズ著/斉藤隆央訳/紀伊國屋書店)は、私たちに身近な微生物の全貌を描き出すとともに、微生物の存在を介して「生命とは」「健康とは」といった根源的な命題に挑む、意欲的な一冊です。

世界中のユニークな研究をピックアップ

マイクロバイオームとは、私たちの体の内部や表面のほか、生活の場などに棲む微生物の集まりのことです。本書では、皮膚や腸や口腔といった、広く知られたマイクロバイオームはもとより、胃や肺のマイクロバイオーム、さらには、「膣オーム」「ペニスオーム」など、ヒトの体内外のさまざまなマイクロバイオームを取り上げています。さらに、それぞれのマイクロバイオームについてのユニークな研究成果を紹介。例えば、口腔マイクロバイオームに関しては、オランダの研究者が行ったキスの実験から「10秒のディープキスで平均8000万以上の細菌が移動することを確かめた」と記述しています。

地下鉄や職場、住居など、「人の周り」のマイクロバイオームについても言及されています。そうした研究が行われているという事実に加えて、結果にも興味深いものがあります。例えば、ニューヨークの地下鉄駅とその周辺の環境を比べた試験では、意外なことに、地下鉄構内の細菌の多様性がきわめて低く、地下鉄ホームのマイクロバイオームは外の環境とほとんど変わらなかったのです。また、見つかった細菌の約5%は一般的な皮膚の常在菌であり、「ヒトはいつも皮膚から細菌をこぼしている」こともわかります。オフィスや「ハウスオーム(住居内のマイクロバイオーム)」を対象とした研究でも、同様の結論が導かれました。

そういった多様かつ広範な研究結果を示しながらも、著者らは、一定の仮説や結論を導こうとしているわけではありません。事実を並べた上で、「さまざまな環境に、驚くほど多様なマイクロバイオームが存在する」という事実をはっきり認識させることが、本書の第一の目的です。

博物学的な視線から見るマイクロバイオーム

マイクロバイオームを語るに先立って、本書はビッグバンから始まる生命のものがたりからスタートします。第1章のタイトルは「生命とは何か?」。壮大なストーリーの中に、野球選手や天文学者の名言などが交錯するため若干回りくどい印象ですが、DNAや微生物の定義、ウイルスを生命とみなすかなどの話題が盛り込まれ、読者はいつの間にか、その先を読み進めるための基礎知識を得られます。

マイクロバイオームについて語るのに、なぜこのような歴史や、一般にはあまり目を惹かない体の部位のマイクロバイオームまで学ぶ必要があるのか? それは、著者二人がアメリカ自然史博物館の学芸員であることに関わりがあるはずです。ロブ・デサールの専門は昆虫学における比較ゲノム研究、スーザン・L .パーキンズの専門は微生物の系統分類学とゲノム研究で、原生生物の寄生に関する研究をしています。博物学的なアプローチでマイクロバイオームに迫った本書は、もし取り上げられている情報に既知の内容があったとしても、多くのヘルスケア関連書や医学エッセイとはまったく違う印象を読者に与えます。

健康とは結局、何なのか

第4章の「私たちの体内に何がいるか?」には、多くの日本人にとってなじみがあり、関心度の高い腸のマイクロバイオームが登場します。ただし、その扱いは他の部位のマイクロバイオームと比べて特に大きくはありません。むしろ、口腔から始まって糞便に至るまでの消化管マイクロバイオームの全体像を把握できることが、本書のユニークな点です。
本書のクライマックスは第6章「『健康』とは何か?」。どんな状態が病気で、どんな状態になれば健康なのか。単純に答えられそうなこの問いに対して、著者らは「健康は一元的に決まるものではなく、体の状態を正確に把握し、対処するには『生態学的な視点』が不可欠だ」と提唱します。ヒトの体と、そこに存在するマイクロバイオーム、さらには両者の生体的な相互作用を視座に入れ、大きな文脈でとらえなおさなければいけないーー。これが本書のメインメッセージなのです。

ある国が単純に、良い国/悪い国と決められないのと同じく、マイクロバイオームの良し悪しも安易に判断できません。博物学的な視点、生態学的な視点をもち、その来歴や現状、周辺との関係性に広く目を向けて、ようやく見えてくる世界の先に、本当の健康があるのかもしれない。本書は、目に見えない微生物の存在をきっかけに、偉大な真理に気づかせてくれる一冊です。

【書籍情報】
『マイクロバイオームの世界 ―あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』(ロブ・デサール&スーザン・L .パーキンズ著、パトリシア・J .ウィン本文イラスト、斉藤隆央訳/紀伊國屋書店)


ウェルネス総研レポートonline編集部

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