
【注目書籍】世界中で進む脳の研究で、いつかAIは脳と同じ能力を獲得するか!?

近年、脳についての本をよく目にするようになりました。それらのページをめくればめくるほど、脳の仕組みの精密さと働きの多彩さに驚くばかりです。こんな高度なものが自分の体の中にあるの? と。しかし、世界中の学者が百年以上研究し続けていても、まだまだわからないことがありそうです。
本書『脳の本質 いかにしてヒトは知性を獲得するか』(乾敏郎・門脇加江子著/中公新書)では、現時点でわかっている脳の研究について、歴史を遡りながら、細部にわたって紹介されています。
脳が正常に働くことは、メンタルヘルスの視点から心身の健康につながるといえます。ところが、脳に異変が起こると、想像もつかないような症状が現れます。そんな症例や治療することでわかってきた脳の不思議。
細胞の集合体でしかないと思われていた脳ですが、そこからどのように自我や様々な感情が生まれるのか。それはAI(人工知能)にも真似ができるようになるのか……。そんなことを考えながら読み進められる、とても興味深い内容です。
脳の仕組みや健康に興味を持ち、研究し続けてきた著者たち
本書は、認知神経科学者である乾敏郎氏と、心身の予防医療に携わっている門脇加江子氏の共著です。
乾氏は、若い頃に視覚失認という症例を知り、「なぜ視力が正常なのに、日常的な道具を見ても何であるかわからなくなったり、配偶者や親の顔を認識できなくなるのだろう」と疑問に思い、認知神経科学の研究を始めたそうです。
眼科の医師や神経内科、精神科の研究者、小児科学、発達心理学、発達障害の研究者たちと協力しあってきたということが、本書の内容に深みを与えています。
また、人間の脳にはニューロンという神経細胞が張り巡らされており、ニューロン間で情報を受け渡しするシナプスが存在しますが、そんな脳の仕組みを参考に作られた人工ニューラルネットワークは、人間のニューロンの基本的特性と同じ特性で、シナプスを模した結合まであるのだそうです。
乾氏は、この人工ニューラルネットワークを学びながら、より精密な脳の仕組みを追求してきたのだとか。
門脇氏は、臨床発達心理学やメンタルヘルスの専門家として、働き盛りのビジネスマンが脳や心疾患、メンタルヘルス不調などに陥り、それまでの能力を失うのを目の当たりにして、予防行動の必要性を感じてきたそうです。
本書では、この2人の著者が全ての章を一緒に執筆したのだとか。脳の本質を理解しながら、健康な脳の働きが、心身の健康にどれだけ必要なことかを伝えます。
ロボット工学の世界でも脳の研究が進む

第1章では、脳の本質を考える科学的概念やその歴史的背景を紹介。第2章と3章では、脳が視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚などを通して外側の環境を正しく捉え、内側である身体を認識するプロセスと、どのように自我や感情が湧き起こるかを示します。第4章では、人間が持つ基本機能の発達と、一部の神経発達症に関するメカニズムが紹介されています。
第5章から7章では、脳の学習、認知、記憶、意思決定、言語コミュニケーション、意識など、人間の高度な知性がいかにして実現されるかが紹介されています。さまざまな症例や例え話がたくさん織り交ぜられているため、身近な話として興味深く読み進められます。
本書を読み進めていくと、ロボットやAIの技術の進歩と脳の研究は、切っても切り離すことができないこともわかってきます。
例えば、胎児や新生児の行動から脳の仕組みを研究するとき、壁にぶち当たるそうです。斬新な仮説が浮かんでも、実験方法は限られ、胎児や新生児は喋れないので、目や腕の動き、脳波などで調べるのだとか。
こうした不便さを打開するために、東大の認知発達ロボット工学の國吉康夫氏が、正確な脳―筋骨格系を持つ「胎児モデル」をコンピューター上に作りあげました(2006年)。胎児の脳皮質モデルには、260万個のニューロン、53億個のシナプス、20個の関節および自己受容感覚器を備えた390個の筋肉、全身の3000個の触覚受容器などのデータが組み込まれたそうです。
それと同時に、コンピューター上に「子宮モデル」を作りました。その子宮モデルには、例えば32週の胎児の重力、羊水による浮力、子宮膜、羊水、身体部分間の物理的接触からの力……このような細かなデータが組み込まれました。
そして、胎児モデルを子宮モデルの中に配置し、胎児モデルが子宮内で何を学習したのかを精査したそうです。その結果、狭い子宮内で胎児が体を動かすと子宮壁に制限され、胎児の手足は頻繁に子宮壁や自分の体、へその緒に触れることになることがわかりました。
実際、人間の胎児を4Dエコーで見ると、胎児が手で自分の顔を頻繁に触っているということは知られていたため、その理由を裏付けることができました。そのほかにも、それまで仮説でしかなかった胎児の行動について、様々なことがわかってきました。
胎児モデルや子宮モデルを作り、それを学習していくことの先に、ロボットやA Iの技術があると思います。本書では、このように気の遠くなるような実験や考察が、世界中のあちこちで行われていることを知ることができ、その研究者たちの熱意やモチベーション(高次の脳機能の一つ)にも驚かされます。
未来の行動に重要な「予測」という機能

もう一つ、特に個人的に興味を惹かれたのが、脳には「予測」という機能があるということです。
例えば、野球経験のない人がバッティングセンターで130キロを超える球を打てないのはなぜか……。ボールが機械から飛び出してから、私たちの視覚野に伝わるまでの時間は約100ミリ秒(0.1秒)で、運動の指令信号が運動野から出て筋肉が収縮するまでにも約100ミリ秒かかるそうです。そうすると、ボールを見てバットを動かし始めるまでに、大体0.2秒遅れることになります。
このタイムラグを補正するために、私たちの脳に備わっているのが予測という機能。練習を積んだ野球選手は、はっきりとボールを見ることができ(知覚予測)、脳が球種や軌道などを予測して、バットを振るタイミングをはかります(運動予測)。それは練習を積みながら、脳が学習し、発達していると考えられます。
また、行動したことや学習したことを記憶し、要約を行うために、睡眠がとても大切なことと知られています。大谷翔平選手が素晴らしい成績を残し続けているのは、その睡眠のおかげであるという話もよく聞きます。
予測機能を磨き、睡眠でそれを定着させている……? MLBやWBCで活躍する大谷翔平選手の脳の発達にも興味が湧いてきます。
また、一度怖い思いや失敗したことがあると、同じような状態になりそうなとき、先の記憶が脳裏をよぎることがあります。これはエピソード予測と呼ばれますが、記憶があるからこそ、次にどう動けば良いかを予測できるということです。未来の行動を考えるとき、とりわけ重要な機能が、このエピソード記憶となります。
脳の機能を挙げていくと枚挙に暇がありませんが、これからの時代は、脳の原理がロボットやAIに与える影響に注目が集まることは必須。本書を読み終わった後は、脳だけでなくロボットやAIの進化にも興味が湧いてくることでしょう。

【書籍情報】
『脳の本質 いかにしてヒトは知性を獲得するか』(乾敏郎・門脇加江子著/中公新書)















