食のWell-being新価値創造と機能性表示食品のイノベーション

機能性表示食品制度は、小林製薬の紅麹事件により日本中に大きな衝撃を与え、消費者庁に「機能性表示食品を巡る検討会」が設置され、大きな曲がり角に直面している。このような中、「食と健康のイノベーション」をライフワークに掲げる東京工業大学の木村英一郎教授にお会いし、機能性表示食品とイノベーションについてお聞きした。

「食」のWell-being新価値を“食場” のコンセプトで発信中

私は東京工業大学(東工大、本年10月からは東京医科歯科大学と統合して東京科学大学)に選任される直前まで食品企業で30年以上にわたり食と健康に関する新規事業開発に取組んできました。その間に、内閣府総合科学技術会議(現、総合科学・イノベーション会議:CSTI)のライフサイエンス分野担当として医療、食糧、環境等の分野のイノベーション政策策定や、合計3回、9年間を米国(シリコンバレー、ニューヨーク、サンディエゴ)赴任で過ごし、国内外のスタートアップ投資・提携やフードテックやヘルステックの経営陣や社外取締役としてスタートアップの経営も経験してきました。

そうした産学官での経験を軸に、私の研究室では “Well-beingの価値実装を最先端のイノベーション・マネジメントで加速する” ことを中心テーマにして取組んでいます。特に、オープン・イノベーション推進では本年度からは科学研究費助成事業(科研費)に採択され、オープン・イノベーションを2003年に世界で初めて提唱した米国カリフォルニア大学バークレイ校のHenry Chesbrough教授が主催するクローズドのメンバーシップ制フォーラム(Berkeley Innovation Forum(BIF))に参加します。ここでは、Google、Intel、Nestleなどの世界の一流企業が世界の最先端のオープン・イノベーションを議論します。そこに、日本のアカデミアとして唯一、東工大(科学大)が名を連ねることになりグローバル・ビジネスの最前線でのオープン・イノベーションの議論に私も加わることが楽しみです。

もう一つ科研費(挑戦・萌芽)で審査中の研究がありまして、それが“食場”という私が開発したキーワードをコンセプトにするテーマです。「食」の重要な価値はタンパク質やビタミン等の栄養素や機能性成分などの栄養や生理的機能として重要な役割がありますが、それに加えてWell-being価値創造にも非常に重要な役割を果たしています。私達は飲食の機会で人と人とのネットワークを構築したり、楽しくコミュニケーションしたり、時には独りで大好物をニンマリ頂く時に「食」を通じたWell-being価値を感じ、このWell-being価値の対価として単なる栄養素としての価値以上の価値として多くのお金を払っています。つまり、こうしたWell-being価値創造の機会や場を“食場”と捉え、こうしたWell-being価値も全て含めて食品産業と捉え直したビジネスモデルの構築を推奨しています。

この研究では内閣府ムーンショットプロジェクトで「食」嗜好性の研究をリードしている私の大学の同期でもある東京大学農学部農芸化学科の喜田聡教授と共同で食を通じて人がWell-being価値を認識する様子を最先端の脳科学的なアプローチで検証します。“食場” のWell-being価値形成メカニズムを科学的に示すことが出来れば、その結果は食品マーケティングでさらに重要さを増していくデジタルマーケティングにおいて極めて強力なツールとなります。つまり、これまでのマスマーケティング、大量生産・大量消費型の商業モデルではカバーしきれない消費者が増え、既存のフードシステム(卸・小売を通して売っていく)に加え、Direct to Consumer(DtoC)のような生産者と消費者が直接繋がる新しいチャネル形態の重要性が拡大する中で、生産者側が消費者(ユーザー)側と直接繋がり商品の購買行動につなげるコミュニケーションを行う上で喜田教授との研究は非常に有効となります。デジタルマーケティングへの応用としては、関西学院大学経営戦略研究科の玉田俊平太教授の「消費者の香りによる時間選好の研究」にも参加しておりそちらも楽しみです。

私は “食場”の価値は人間社会にとっても非常に重要だと考えていますが、私と同世代の人たちはほぼ100%共感してくれます。しかし、今の子供たちやこれから生まれてくる将来世代は、今のままではその大事さを同じレベルで感じてくれるとは限らないと考えています。つまり、私はこれまでの自分の人生で“食場”が本当に大事だったと感じています。しかし今の子供たちが同じような経験をしているとは限らず、食の社会的機能についての重要性を知らない可能性が高いことを踏まえると、“食場”の科学的エビデンスをベースに次世代、次々世代の教育(新食育)に貢献することも私がアカデミアに来て果たすべき役割の一つだと考えています。

東工大がフード・アグリの領域に取組むこと

現在、東工大は東京医科歯科大学との統合も視野に、もともとの強みであるエンジニアリングや情報技術・コンピューティングを活かし、出口としてのアグリ・フード・ヘルスケア領域への展開を強化していきたいと考えています。既に2019年に農研機構と包括提携を締結しフードやアグリに関する共同研究はいくつかスタートしていました。しかし、東工大には、食に関して異業種も巻き込んだ産学官での総合的な取り組みができていなかったのですが、昨年私が着任した際に改めてこの取り組みのプロデュースをお手伝いさせて頂き、東工大のオープン・イノベーション機構が主催する形でフォーラムを今年2月に「アグリフードヘルスイノベーションファオーラム」として開催させていただきました。「食×デジタル」を軸とした日本、あるいはグローバルでのフードシステム・イノベーションに取り組むにあたって、東工大として中核的な役割を果たしていくという意思を表明しました。登壇者には我が国のフードテック革命をリードするUnlocX社の田中宏隆氏の基調講演の他、食品業界に加えNTT DATA、Amazon Web Service、三菱銀行など、今後デジタルベースの新しいフードシステム構築における将来のキープレーヤーを取り込んでいます。また、登壇頂いたオランダのフードバレーのように、グローバル視点で食やアグリを戦略的な産業の一つとして捉えて、そこに科学技術を組み合わせてエコシステムの拠点にしていく取り組みが世界では行われていて、東工大として我が国におけるリーダーシップを発揮しつつ、そうした海外の拠点とも連携していく準備を進めています。

機能性表示食品はポジティブな結果

現在、東工大の仙石慎太郎教授らが推進中の科研費研究「制度・規制とイノベーションの共進と企業行動」は、主に医薬品やヘルスケアの話題が中心になるのですが、そのサブテーマの一つである「機能性表示食品制度と産業の展開」を私が昨年から担当しています。

この研究では、2015年に機能性表示食品制度がスタートして以降、業界にどのような影響があったかを分析した上で、制度の導入の意義や価値を評価し、今後の業界の更なる成長に資するような政策提言を行うことが大きな目的になります。概要としては元々日本に特定保健用食品制度がありますが、私が米国勤務中に事業化を検討したアメリカのメディカルフード制度に比べると事業化において異なる面もある中で、機能性表示食品制度が新たに始まり、商品届出件数や市場も飛躍的に伸びてきています(令和5年末で7,000件近く、本年は7,000億円を超える市場予測(富士経済社))。この状況を制度の成果としてどのように分析できるかというと、結論としては機能性表示食品制度ができたことはいわゆる健康食品において、エビデンスを構築して食で健康を推進していくという目標においては非常にポジティブな結果につながってきているという認識を持っています。具体的には、一定のルールに従った評価方法によるエビデンスをもとに機能性素材を評価して、それを用いた製品をベースに、素材と機能に関してユーザーとコミュニケーションができる点、そうした商品を製品化するためのルールが整備されている点が、これらがなかった頃と比較すると非常にポジティブな結果をもたらしているという印象です。

機能性表示食品制度はイノベーションである

私は機能性表示食品制度自体を食品産業におけるイノベーション推進の一つの重要なプラットフォームとして捉えています。規制や制度は元来どちらかというとブレーキ的なニュアンスが強くなりますが、機能性表示食品制度はまさにそこがポイントで、ルールを定めることによって、業界では商品開発が活発化し、消費者からすればより信頼性が向上し、より購入につながりやすくなっています。業界が算出したデータでは、機能性食品全体のマーケットは大きく伸長しているわけではないですが、そのなかで機能性表示食品は大きな伸びをみせています。そういう意味ではわが国における数少ない成長産業の一つであると思っています。

もちろん半導体などグローバルに展開しているものもありますが、これだけ着実に我が国の市場として伸びているものはそこまで多くない印象です。その成長を促進する上で、機能性表示食品制度の導入は現段階においてはポジティブに作用していると言えます。

今回問題となっている小林製薬の問題では、たまたま原因となった食品が機能性表示食品であったために、制度自体に問題があったかのような報道も見受けられますが、他の保健機能食品と比べても安全性が軽視されている制度ではありません。見方によってはより厳格な制度であり、「機能性食品だから起こった」のではなく「機能性食品でも起こった」と考えるのが正しいと思います。私は安全性と機能性に関しては切り離して捉えるべきだと認識しており、現段階での私の見解としては、まず問題を起こした成分や発生プロセスなど原因を調査・特定する必要があると思います。その上で、機能性の話ではなく、食品全体に通じる安全性の話であることを認識した上で対策を講じていくことが重要です。その対策は恐らく機能性表示食品に限らず、食品全般に関わるものになるべきですし、いわゆる健康食品のなかでは機能性表示食品は製造プロセスも明確になっていますので、そういった意味でもイノベーティブであると言えます。むしろその他のいわゆる健康食品や一般食品でも起こることも考えられますので、安全を担保するために何が問題なのかを明確化した上で適切な対応をしていくことが望ましいです。

むしろ私が驚いているのは、今回の事件で消費者庁が調査を行って、約7,000件の機能性表示食品の調査を行い、小林製薬以外に18件の健康被害情報はあったものの死亡事故はなかったという結果が出てきました。私はこれこそ評価すべきことだと思っていて、機能性表示食品以外の食品ではこれだけ短期間であれだけのデータを正確に収集・整理することは恐らく難しいです。これは機能性表示食品制度というルールのもとで整備されてきたことで、これだけ徹底した透明性の高い情報収集を短期間で可能にしたと言えます。機能性表示食品を製造・販売している企業側にもそうした意識があり、データなどがあったからこそ、今回のような対応ができたのだと思います。これはとてもポジティブにとらえて称賛されるべきことなのではないかとさえ思います。ある意味では、これだけ制度が有効に機能していて2015年の制度発足以来、マーケット自体の成長の裏側にある消費者の信頼に応えるシステムとして機能していることを示す事象になったと言えるのではないでしょうか。勿論、今回の事件は大変残念なことではありますが、食品のイノベーションをさらに加速させるために機能性表示食品制度自体が先頭に立って食のイノベーションを推進していっても良いのかもしれません。

ifia/HFE2024での講演「機能性表示食品制度導入後の産業界の動向と市場成長」について

先ほども紹介しました、制度発足以来業界がどのように展開、成長しているのか、また、実情としてポジティブな結果がみられるという話題を中心にお話しする予定です。と同時に、小林製薬の問題に関する先ほどの話と絡めて、制度として有効に機能している証左でもあり、ユーザーと生産者側の関係性においてもしっかり意義を果たしているということなども紹介できればと思っています。「食」を取巻く世界のオープン・イノベーションについては、我が国のフードシステムや “食場”も含めて食全体を捉えたときに、将来の目指すべき姿なども織り込みながら、機能性表示食品について広くお話しさせていただきます(ifia/HFEJAPAN2024:5月22日(水)11:10~11:50東京ビッグサイト南館3・4ホールの機能性表示食品開発セッション会場にて講演)

木村 栄一郎(きむら・えいいちろう)/Eiichiro Kimura

東京工業大学 環境・社会理工学院 技術経営専門職学位過程 教授
(兼任)同イノベーションデザイン機構連携教授

大学院修士課程修了後、味の素株式会社入社。内閣府総合科学技術会議事務局(ライフサイエンス担当)出向、米国Stanford大学博士研究員、Ajinomoto North American Research &Innovation Center長、米国買収先子会社上席副社長格、M&A担当部署の技術統括等を担当し、江崎グリコ株式会社新規事業開発部門部長等を経て、2023年4月より現職。複数の国内外のスタートアップの社外取締役、神奈川県技術顧問等を歴任。現在も、NEDO事業カタライザー、複数の大手・中小の食品会社等の顧問・アドバイザーを兼任。博士号(農学:東京大学)、経営学修士(英国Leicester大学)。

「FOOD STYLE 21」2024年5月号 この人に聞くより

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